慶伊道彦 IVY STYLE 講座 / POLO by Ralph Lauren 愛を語る

Kay こと慶伊道彦のCoffee Break

POLO by Ralph Lauren、言わずと知れた超メジャーブランド!僕が語るまでもなく、有名な逸話がたくさんSNSには載っています。あまり同じことを連呼してもつまらないでしょう。そこで、僕の青春時代に出会ったPOLO知識を拠り所にして、まとめてみました。

まずは、時系列で追っていきますと

1967年、ボーブランメル社でネクタイデザイナーとして出発 (ブルックスブラザーズにて、ネクタイコーナー販売を担当していた) ここで、ニューラインタイを発表しトレンドセッターとして、支持される

The Beau Brummel Tie エンパイアステイトビルディングのショールームにて ”POLO” ネクタイをお披露目 1967年

“WWD / Fifty years of Ralph Lauren” @rizzolibooks 引用写真です

当時、トラディショナルタイの幅は、2.5inc. (6.5cm) が普通。それを、3.5inc. (9cm) で発表し爆発的人気に。実際、たかだか2-3cmくらいのものですが、両方のネクタイを並べてみると一目瞭然、圧倒的な迫力が。それにより大柄デザインも取り入れることが出来る様になりました。ラルフローレンは、さっそく英国貴族の好む馬蹄柄やハンティング柄を加え、トレンド入り。

当時の広告には、THE BIG KNOT とキャンペーン。左のネクタイのネームラベルは、スタート当時の貴重な ”POLO” ネームです。

“WWD Fifty years of Ralph Lauren” @rizzolibooks

イタリアのラッティ社でプリントされたシルクモチーフタイ、9~10cm のビックノットタイ、僕も初めてこの手のネクタイを見た時、デザインの発想に唖然としました。どうしてこんな素敵なネクタイが考えられるのだろうと。1971年頃の事でしょうか。

それが、僕が ”POLO” ブランドの日本導入を思い立った始まりでした。73年、幸運にもOKの連絡が来て早速 NY に飛んで行きました。交渉などはラルフの実兄の担当だったので、残念ながらラルフとは握手できませんでしたが無事締結。( 始めから分かっていたような話ですが、結局契約は2年間限定で、日本市場のマーケットリサーチ役みたいな感じの位置 ) 本番は、VAN と西武が戦い、結局当時最もブルミングデールに近いと言われた西武百貨店が落札。以後の経過は皆さんご存じの通り。

ラルフローレンはネクタイ分野からのスタートだったので、まずはNY市場と同じくネクタイ分野からスタートさせたかったのでしょうか。それが、僕 (というよりネクタイの菱屋) が契約できた理由で、それはそれでセンセーショナルな出来事だったと思いたいですが。

翌日、案内されてブルックリンにあるPOLOの商品部というか物流倉庫に。想像以上のスケールの大きさにたまげた思い出があります。こんなゴッツイ会社とできるんかいな、ウチみたいな小さな会社が?と (懐かしい思い出でした)

bloomingdale 広告 / 引用写真

1970年、ニューヨークのトレンドデパート (当時としてはNo.1の) ブルーミングデールに、インショップとして出店。初めてのフルラインの Flagshipとなりました。僕が初めてNY出張したのが72年ですが、やはりネクタイやシャツなど単品では、いくつかのショップに陳列されてましたが、フルラインで展開は、ブルーミングデールだけだった。

翌年、ワシントンD.C.に行った際、おそらく東海岸単独ブランド路面店一号だったのではないかと(フランチャイズでしたが) 凄く素敵な店ができていて感動した事を思い出します。ロスのビバリーヒルズとココからスタート

斬新なデザインのWブレザー6ボタン、太いラペル、タイ —引用写真—

1970年、デヴューしてたったの3年後、Cote award (Mens Style のアカデミー賞) 獲得!

@ralph.Lauren.style

この時のスタイルに注目!リボンタイ!70年代、僕たちも真似て大ブームに沸きました。まるでウエスタン映画に出てくるような格好でリボンタイを結んで街をウロウロしたもんです。

1972年、LACOSTE をベースにデザインされたPOLOのポロシャツが発表!( Rene Lacoste 1920’s ) 24カラー展開で、大評判となりました。ポロマークのネクタイ、ボタンダウンシャツ、そしてポロシャツ、世界中のファンがロゴに魅了されました。

では、師匠のスタイル写真から学びましょう!

デニムのウエスタンシャツ、シャツ襟をショートにしてモダンに魅せます。当時のウエスタンシャツは、シャツ襟はロングでしたが、それではちょっとオジサンスタイルゆえ。ラルフは、さらにそこにウールチェックのネクタイを結び、カントリーモチーフバーを刺します。タウンとウエスタンのミックス!シルバーバックルのウエスタンベルトも大ブームに、これもラルフローレンからの波でした。

ラルフ牧場を所有するくらいカーボーイライフが好きなラルフローレンの一押しは、この写真!古びたデニムウエスタンシャツに、ツイードジャケット。70年代調のビックラペルに下ボタン留め!大好きな写真です

このスタイルも大好き写真!ショートカラーの白ウエスタンシャツに黒のスリムニットタイ、大剣をパンツの中に入れる。このやり方は、衝撃を受けました、当時。ヘリンボーンツイードの色もいいですね、黒白のはっきりした柄。ウエスタンをミックスしたアイビースタイル。

引用写真 @ralph.Lauren.style

この時身につけている時計が、当時まだトレンド入りしてない Rolex でした。さすがにこのような高級時計は、マネできませんでしたが、好きなアイテムをミックスして、アイビースタイルに落とし込んでいくという作法を学びました。

チョークストライプスーツの着こなしも学びました。スーツで着る英国風は勿論ですが、上下バラバラにしてカジュアルアイテムを合わせるコツを。デニムシャツにチョークストライプは、相反するアイテムなのに実によくマッチする事を教えて頂きました。僕は、今でもこのスタイルや、逆にチョークをパンツに持ってきて、ツイードジャケットを合わせたりして楽しみます。

80年代を先取りした写真家 ”Bruce Weber” 彼の撮るラルフローレンコレクションは、今までとも違った魅力を引き出してくれました。プレッピー時代を乗り切れた戦略の一つに、彼の造る広告がありました。

実にモダンにかつ今日的な捉え方をした写真

さて、ブランドスタートからを振り返るとラルフローレンの凄いのは、ここにあったのではと思います。それは〜

ワイドタイから始まり必然的にビックラペル、ロングシャツカラー、そしてタック入りのややワイドなパンツ、それに合わせてシューズもロングノーズに。全てのサイズを大きくして、ゆったりエレガントにする。ここまではわかるんです。しかし、ここからがラルフローレンの真骨頂!メンズのシャネルと言われる所以。

シャツカラーをレギュラーに、さらにショートポイントにしていきます。その方が当時斬新だったからですが、そこで困るのがワイドタイの太いノット、そこで彼は、ネクタイの結び目のシェープを極端に細くしたボトルシェープを採用。そうする事で、小さなノットがピタリ!とショートカラーに収まり、なおかつ全く新しい匂いのトラディショナルスタイルを作り上げました。スモールノット!これだけのことですが、誰にも出来なかったすご技!

ボトルスタイル / 引用写真

副産物として、ノットの下にふっくらとしたシルエットも出来、ウエストのシェープラインと合わせ、エレガントなニューイングランドスタイルが出来上がった訳です。アイビーアイテムから逸脱しないで NEW TRADITIONAL を構築させたということはスゴイ技でした。

1986年、いよいよ Ralph Lauren の本丸が誕生しました。Madison av. 72st. の歴史的建造物であるマンションを丸ごとショップに。さらなる飛躍の礎となる。その後の発展経過は、皆さんご存知の通り、今では知らない人はいないというブランドとなっています。

他にも、映画 “ギャッビー” “アニーホール” の話や、”Preppy” ”Black Ivy” ”Rugby” などなど話したいことは山ほどありますが、スタート当初からの5~6年間の話だけにしました。ラルフローレンファンからお叱りを受けてないか内容は心配ですが。

——写真は引用写真です——

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Insta / @kay.ivy.album

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