Kay こと慶伊道彦のCoffee Break
今は休止になっていますが、WEBマガジン “OPENERS” 2015/06/22 インタヴュー記事より抜粋し再編集してみました。以下、抜粋〜

「男目線の服装が好き」と語る慶伊さん
――慶伊さんがオリジナルにこだわる理由はなんですか?
本当は既製服の方がコストパフォーマンスの面でもいいんです。でも、サイズと感覚でズレがある。
感覚的にもいまの服はぼくにとってはモダンすぎます。ファッションすぎて嫌なんですね。
これは感覚的な表現になるかもしれないけれど、デザインが女性目線なんです。
――媚が見えるんですね。
そう。あるときはイタリアすぎて、そしてあるときはイギリスすぎる。
ぼくは男目線の服装が好きです。それはつまり普遍のスタイル。1950年代、60年代の松竹や東宝映画に登場する俳優たちの格好ですね。男から見て、カッコいいと思える服装です。
――そうしたこだわりは、慶伊さんがフェアファクスを立ちあげられたキッカケにもつながるのですか?
そうですね。ぼくはそういうシーンをずっと追いかけてきた気がします。
はい、ぼくがネクタイを着用するようになったのが18歳ぐらい。IVYルックが注目されはじめた1967年ごろの話です。当時のIVY少年は、みんなネクタイを締めていたんですね。それは少年が、大人の男になるための通過儀礼でもありました。
ぼくがはじめて手に入れたのは、「菱屋」といういまは無き老舗ネクタイ屋の黒のニットタイとポプリン織りのレジメンタルタイ。ポプリンとは平織りのスタンダードな織り方です。その「菱屋」に、ぼくはやがて勤めることになる。当時は学生運動が激しく、就職するにも厳しい時代。ですからまずは丁稚奉公(でっちぼうこう)をしたんです。
当時のネクタイ屋とは、いまで言えばスニーカーショップみたいなものです。そこでぼくは、自分ではじめて購入したネクタイと同じものを、今度はお客様にお勧めして、大ヒットを飛ばしました。
振り返ると、それが自分の原点だった。
――日本で初めてポロ・ラルフローレンと契約したのが菱屋。その時の契約締結を導いた担当者が慶伊さんだったとお聞きしています。

ええ。1971年にNYとワシントンに出張に行き、ポロ・ラルフローレンというブランドを初めて知りました。このブランドは、その時、すでにアメリカで大ヒットしていましたが、日本ではまだ存在が知られていなかったんですね。IVYしか知らなかった自分も、ラルフローレンの“ニュートラッド”の世界に、ある種のカルチャーショックを受けました。
それから2年後、ネクタイのみの短期間契約ではありますが、ポロ・ラルフローレンブランドの日本での販売契約を結びます。ラルフローレンは、ネクタイブランドとしてスタートしましたから、彼自身、ネクタイに並々ならぬ思い入れがあって。きっと老舗ネクタイ屋ならいいだろうと思ってくれたのでしょう。
これは自慢話になってしまいますけど、ラルフローレンの当時のオフィスとデリバリーハウスを知っているのは、日本ではおそらくぼくだけですよ。
――そのビッグブロジェクトを成功させた後、1976年に「菱屋」を退職。そして、会社を設立なさったんですね。
はい。その通りです。
小さくてもラグジュアリーでありたい
――社名のフェアファクスは、アメリカのワシントンにあったホテルの名前から取られたんですね?

そう。はじめは「Ryu Fashion(リューファッション)」としていたんですけど、これじゃダメだと。独立から3年後の1980年、その年の『GQ』8月号に掲載されていたホテルの記事を見て、すぐに社名変更したんです(笑)。
社名は雑誌『GQ』で偶然見つけた、アメリカのワシントンにあったホテルの名前に由来する

――いわゆるスモールラグジュアリーホテルですか?
ええ。ホテルの雰囲気を掴むために、幾度となく足を運びました。当時はまだワシントンに行く人もそれほどいなかったから、とても貴重な体験です。
アメリカで大人の世界を知ろうと思うと、クラス社会に行き着くんです。ワシントンにはホワイトハウスがあり、クラス社会が残っていました。そうした雰囲気は、ホテルで掴むのが手っ取り早い。とりわけホテルのバーは、大人の入り口なわけです。”FAIRFAX BAR”
小さくてもラグジュアリーでありたい。それが社名に込めた思いです。

――精神性の高みを目指す、その意気込みが伝わってくるようですね。
ぼくには「座右の銘」なんてカッコいいものはありません。あるのは“身の丈”と“やせ我慢”。マスマーケットには行かない。アパレルにはならない。極めて自分の身の丈にあったところで、やせ我慢をして、スピリットをコアにする。そういう感覚が自分のやり方なんです。
――ところで、慶伊さんにとってのアメリカの良さってなんですか?
ひと言で表現するならスタンダード。奇をてらっていないという面では、イギリスやイタリアとは少し違うと思いますね。彼らは貴族社会からの慣習を残しているでしょう。アメリカの場合は、それを完全に一般化している。そこが好きですね。
――大量生産のなかで、ハイクオリティを狙っていく。大衆のための高品質……。
そういうことですね。その方が、より削ぎ落とされた洗練さが表れているような気がして、ぼくは好きなんです。いろんな好みはあるとは思いますが、ぼくの場合は、少しチープな方が性に合っているんでしょう。
* 以上、雑誌 “OPENERS” インタヴュー記事より抜粋致しました *
追記) つまりは、僕のスタイル原点は、既製服全盛期の50~60年代のアメリカン・トラディショナルが、ベース。そこに、80’s のヴィンテージ感覚をミックスさせるスタイル。
ですから、本来はレディメイドの方がカッコいいはずなのですが、何故か、アパレルメーカー側も、妙にトレンド意識の強いクラシコスタイルなどを作る。だから、欲しいものがマーケットにないので、オーダーとなる次第。ヴィンテージショップには、わんさかありますので、その辺りが最近 Vintage Shop の攻勢が強まっているゆえんかもしれません。
ここは、アパレル関係者さん!50~60年代のストックや雑誌、映画、Jazz、などからもう一度勉強をやり直したらいかがでしょうか。

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