Kay こと慶伊道彦のCoffee Break
60年代、’65~’67 日活は青春歌謡映画を中心に制作。56年の大ヒット作 ”太陽の季節” “狂った果実” ここから、日活は、裕次郎、アキラ、圭一郎の三本柱で興業を打ち映画館は大盛況!ところが61年、赤木圭一郎がゴーカート事故で死亡、石原裕次郎はスキーで骨折、折しもそろそろ流れが変わりつつあった頃もあり、日活は大ピンチに陥る。それを救ったのがヒット歌謡曲をタイトルにした歌謡路線でした。元々、御三家は歌えるスターでしたので、彼らの映画には必ずと言っていいほど主演スターの曲が流れていました。ですから、流れとしてはあったわけです。
その中心にいたのが、子役出身の山内賢。Young & Fresh というエレキバンドを売り出し中で、グループには和田浩二もいました。日活は彼を主役に抜擢した映画の制作に乗り出します。当時は、年間5本は出演するというのが普通でしたから、66~67年の2年で10本ほど出演していました。
一方、VAN JACKET の方も、64年からのいわゆるアイビー族ブームで大躍進、全国の中都市レベルまで出店攻勢をかけた時期に当たります。当然、一般のヤングにも浸透を図る必要が出てきます。その際の戦略の一つに日活青春路線があったのではと考えます。
山内賢は、子役当時は久保賢と名乗っていました。久保明の弟だったので。僕はその頃から観ていたのですが、カッコいい兄弟でした。歌えてエレキギターが弾けて、そこに日活は目をつけたんでしょうか。メジャーデビューとなります。第一作が、”青春ア・ゴーゴー”

映画のシーンでも、VAN提供といった看板も出てきます。この映画では浜田光夫と共演、冬のスペクテーター・コートやランチ・コートを魅せてくれます。やはり山内賢そのものがVAN系のオシャレさんだったのでしょうね。65年頃はまだまだIVYスタイルも認知されてませんでしたから、俳優さんの中では稀だったでしょうね。


第二作が “涙くんさよなら” この映画が出演作の中では、もっともVANのIVYスタイルを見ることができます。

ヤング&フレッシュの面々のスタイルが素敵!アイビー・ストライプのジャケット、マドラス・ジャケット、コットン・スーツ、ニューポート・ブレザー、50年以上も前にすでにこんな格好をしていたわけですから。日本人のアメリカ文化の取り入れ方も半端ない。

サマー・ジャケット、サマー・スーツの面々、かたやスパイダーズは、モッズ系のスタイル、対比が楽しいです。

65年は、TAKE IVY出版、銀座テイジン・メンズショップの上に VANスナック、そしてMr.VANの発表の年でもあります。

スマッシュ・ヒットを飛ばした “二人の銀座” 山内賢と和泉雅子のデュエット曲もヒット。66年のリアルな青春スタイルや当時の銀座の背景なども楽しめる。

エンディングのテーマ曲は、つい口ずさみします。

同じく和泉雅子やスパイダーズが共演した “夕陽が泣いている” スパイダーズのヒット曲から。


もう一人、青春スター/太田博之、65年に2作品公開。日活の新路線となります。梶芽衣子、当時の太田雅子と”W太田”で売り込み

50年前のVAN JACKETスタイル!マドラス・ジャケット、マドラス・バミューダ・ショーツ、ホリゾンタルTシャツ、ラグビー・ジャージ、まだアイビーが一般に浸透していない頃、さすがスタイリッシュな太田博之はVANのアイコン!



今日ではスタンダードなスエット・シャツも当時は、石津謙介氏が名付けたトレーナーという名称で呼ばれ、まだまだ貴重な品でした。

このステンカラー・コートの衿の半たて!流行りましたねえ〜 都会育ちの若者は、65年にはもうやっていました。田舎から出てきた僕らは、それをマネたのが翌年以降でしたが、いや〜流行りましたねえ〜

この顔立ち故か、何を着てもアイビーな雰囲気が醸し出されます。

山内贒、太田博之、VAN JACKET、1965年およそ55年前のジャパニーズ・アイビー!当時の若者のアイビー吸収力に驚かされます。その後は、田舎出身の僕らも片足突っ込んで一大ブームとなりました。’65~’80 長くブームは続きましたが、今日では、アイビー・スタイル・ファンだけのものとなりました。
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