Kayこと慶伊道彦のCoffee Break
IVY と PREPPY どこがどう違うのですか?このような質問をよく受けるのですが、僕は一瞬答えに詰まります。それから、やおらアイビーはこうこうでプレッピーはこんな感じで、と説明はするものの、自分でも歯切れ良く答えられません。
(理論的な違いは、色々書かれていますし、僕もこのブログで以前書いていますので、参考にしてください)


さて僕自身のスタイルですが、よく”慶伊さんはプレッピーですね、アイビーではなくて” なんて言われることが多いのですが、僕の世代としてみるとバリバリのオーセンティック・アイビーの時代ですから、僕にはアイビー・ディテールが染み込んでいる訳です。ですから僕自身プレッピーではなくてアイビーだと思っています。
では、どうしてぼくがプレッピーだという見方をされるのか?(どちらがカッコ良いかとかではなく)
原因の一つに僕の好むスタイルにあります。僕は地方出身者で (江戸っ子でも湘南でもなく) ピュアなアイビー・ルックから少し外れたところに位置します。それを遅れているという風に当時は感じましたし。また、青春期、関西のアパレル関係で活動したので、なおさら東京アイビーとはちょっと違うスタイルに嫌でもなっていきました。(この事は、僕のYouTubeでも東京アイビーと関西アイビーの違いを語っています) 当時、絶対的な発信力を持っていたのがMENS CLUBとVAN、これに忠実になぞっていたのが、スマートな東京アイビー。これに対してMEN CLUBとVANは勿論大きな影響力を持つものの、それに加えて、谷町メーカーと言われる大阪のアパレルが発信する本場アメリカのスタイルに目を向け (関西ではスマートに対してクサイ・アイビーとか言った) 一捻りした渋いアイビーが関西で生まれました。
これは僕のアイビー・スタイルのルーツでもありますが、少しだけ外すとか捻るとかいった感覚がその当時から始まったように思います。
アイテムアイテムの一つ一つはオーセンティックなアイビーなのですが、例えば地味メなネクタイを合わせるとかボタンは下だけを留めるとか、さらにシャツ襟のボタンを外すとか、ちょっとした事で自己主張をしました。
しかし東京アイビーと関西アイビーの違いは、’72以降に登場したPOLOですっかりなくなり、日本中 POLO一色といった感じになりました。ですから、POLO以降のアイビー派は、東京アイビー、関西アイビーの違いなどわからないと思います。ただ、僕は、東京と関西の肌感の違いをずーっと感じながらスタイルしてきたかと。
僕が、オーセンティック・アイビーではあるものの一捻りするという感覚がプレッピー派と思われる所以でしょう。
60年代アイビー黎明期、ルールが非常に重要でした。誰も先の道を知らないのですから。ですから、先導者が必要でした。それが、MENS CLUBとVAN!若者は皆、それに沿ってスタイルしていきました。
その後、日本のトラッド・スタイルは進化を遂げ、POLOから始まるニュー・トラディショナルやポパイが謳うへヴューデューティ、その後のプレッピーやフレンチ・トラッドなどへと繋がっていきます。
ルールを外すとか破る、ミスマッチなどという言葉が出てきたのはこの頃からでした。プレッピーはその最たるスタイルです、POLOが好きLL.Beanなどファクトリーブランドが好き、だけどそれをやんちゃに組み立てる、といったスタイル感覚は、進化したアイビー・スタイルでした。
おそらく僕がプレッピー派と思われるのは、このあたりにあるのではと思います。関西アイビー黎明期は、まさにこんな感じで自分たちで工夫したものです。ルールを知ってルールを破る、これをバンカラ・アイビーなどとも呼びましたね。


2000年代以降のIVY STYLE という言葉は好きですね、古いアイビー・ディテールに拘るのではなく、アイビーっぽい着こなし、これが現代的なアイビー・スタイルです。勿論、アイビーと名乗るからには、守りたい約束事もあります。ですから、ルールを知ってルールを破る!となると、やはりアイビーの知識を学ぶことから始めなくてはいけない、なんて事で周り回って基本を学ぼうと言う慶伊の訳のわからないアイビー説法でした。
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