慶伊道彦 IVY STYLE 講座 / 昭和スタイル・ホボユル考察

Kay こと慶伊道彦のCoffee Break

昭和ブーム!そこでKayの昭和の話

今の昭和ブームは、おそらく80年代の話だと勝手に思っています。メンズ・スタイルにおいて、例えばゴージライン一つ取ってみても、5年程前までは、肩にくっつくのではと思うくらい高い位置でした。それがかっこよかったのですが、今ではスタンダードな位置にまで戻ってきました。むしろゴージをもっと下に下げてラペル幅も広めで、当然ゆったりしたシルエットを楽しむおしゃれさんが登場していますが、意外とコレ!80年代のDCブランドのスーツに似てるんですよね。プレッピーとDCブランドは80年代の申し子ですからね。

80年代スーツの引用写真
段々とゴージラインが下がってきている(引用写真)

音楽も80’s和製ポップスが流行りとか、山下達郎や松田聖子に代表される。(まあ〜そのあたりは詳しくはないので、サラッとで)

(引用写真)

やはり僕のような団塊世代の者たちに取って、昭和とは60年代でしょ!自分たちの10代後半から20代前半あたりの頃ですかね。その頃の出来事だけは鮮明に覚えているのですから。

その頃のメンズ・スタイルといえば、IVY/アイビールック!ヒップなアメリカから持ち込まれたアイビールックは、瞬く間に全国に波及。僕ら少年青年を虜にしました。

今では、アイビー・スタイルと呼び名も変わりましたが、プュア・アイビーな方から僕のようにほぼユルなスタイルの者まで支持者は今でも多いです。

アイビーといえば、やはりMENS CLUB
MENS CLUBの創刊が1963年!まさに60’s

60年代の最大のカルチャーな出来事は、テレビの普及でしょうね。魅力あるテレビ番組が多く登場、新しいカルチャーをテレビから感じる時代に。

今、思い出しても、当時の番組はシャレていました。幾つか挙げてみましょうか。皆さんも若い頃を思い出してください。

NHKの”夢であいましょう” 中嶋弘子の司会で始まるこの番組、その後大活躍する多くのスターを生み出しました。渥美清、黒柳徹子、名曲”上を向いて歩こう”の坂本九、永六輔、中村八大、など

中嶋弘子の引用写真
バラエティ番組からスターが(引用写真)

深夜番組からカルチャーが生まれるのは当時も同じかと。日テレの11PM 、大人のためのバラエティ番組、女性のスキャットで ”イー・サバダバ”と軽快に始まり、司会の大橋巨泉と朝丘夢路がアップに!作曲は当時一番の洒落モノと言われた三保敬太郎、そして司会の巨泉からは遊びがヒップだということを教わる、釣り、麻雀、競馬、ゴルフ、風俗、もちろんジャズやカクテルも。働くだけのサラリーマン気質が少しだけ変わってくるのも、この番組のお陰かな。

日替わり司会者たち(引用写真)
“野球は巨人、司会は巨泉、朝まるで弱い朝丘”

当時No.1なべプロの歌謡番組 ”シャボン玉ホリデー” ザ・ピーナッツとクレージーキャッツが毎回出演、植木等の ”お呼びでない?こりゃまた失礼致しました” 番組の看板フレーズとしてブレーク!数々の大ヒット曲がこの番組から生まれた。

クレージー・キャッツのレコードカバー
ある日の出演者たち (引用写真)

フジテレビ番組からも一本 “おとなの漫画” クレージーの新しいギャグを楽しんだものです。ここから青島幸男が構成担当でデヴューし、その後の植木等との大ヒット曲が生まれます。”無責任男シリーズ”

クレージー・キャッツ (引用写真)
この写真はクレージーをよく表しています(引用写真)

60年代を語る上で欠かせないのが、新しく生まれた男のスタイル雑誌でしょうか。”MENS CLUB”の前身である”男の服飾讀本”は、その後アイビーを紹介するようになり、1963年12月号より”メンズクラブ”の誕生!アイビールックの火付け役となり、全国に(曰く)アイビー族を生み出すキッカケとなる。

(引用写真)

64年4月に創刊された”平凡パンチ”、ファッション雑誌のMENS CLUBと違いヤング・ターゲットの総合雑誌で全国でも発売されました。そのためインパクトは凄いものがありました。当時、田舎に住んでいた僕(高校生)ですらコッソリと読んだものです。ですからアイビーが全国に知られるようになったのは、平凡パンチのアイビー特集からでしょうか。大橋歩さんの表紙のイラストもアイビーを匂わせるカッコ良さでした。また、この年の夏、”みゆき族”が闊歩しますが、オリンピック開催の治安維持のため、取り締まりにあい消滅。その後、アイビー族などと言われアイビー・スタイルは全国に広まりました。(石津謙介氏はこの名前に大反対しましたが)

(引用写真)

平凡パンチより、さらにプレーボーイ誌よりの大人カルチャー雑誌、FIVE6SEVEN、遊び心満載!60年代の若者が従来の大人目線から飛び出そうとするサマがよく分かります。

団塊世代前後は、カウンターカルチャーの大きな唸りを受けるが、その時代のシンボルが、三島由紀夫、横尾忠則、寺山修司、そして紅テントの唐十郎ではないかと。新宿東口を拠点として若者カルチャー運動が盛り上がる。

引用写真

新宿では、もう一つの動きもありました。ジャズ喫茶”風月堂” もともとはジャズ好きな若者たちのたまり場でしたが、その後カウンターカルチャーの発信場となる。当時の敏感な若者は一度は足を運んだかと。

カウンターカルチャーの動きは、お茶の水でも起きました。学生運動!なぜお茶の水からなのかは分かりませんが、中大、明大、日大、ミドルクラスな大学が集まったエリアであり、情報が集中しやすかったのではと。神田書店街を控え東大も意外と近くにあったので理論が盛り上がりやすかったからもありました。お茶の水駅前がパリ・ソルボンヌ大学の運動に酷似していたので、カンチェラタン闘争と呼ばれる。

闘争前のお茶の水駅前は、凄くモダンな街並みでした。なにせレンガ通りでしたから。それが、学生運動の際、道のレンガを砕いて投石としたため全滅、その後タダのアスファルトとなる。駅前の画廊喫茶”LEMON”や、マロニエ通りのアテネフランス辺りでは、たくさんの素敵なお嬢さんルックを眺め若者の羨望を集める。(僕もその一人)

LEMON
(引用写真)

とまあ〜簡単に60年代昭和を撫でてみました。詳しい情報は、みなさんそれぞれで突っ込んではと。僕は、当時の昭和を古い映画で懐かしんではいますが。あれからもう60年は経っているのですから、早いものですね。団塊世代にとっても、はたまたそな子供たちや孫世代たちにとっても、気になる時代だったのではないでしょうか。

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