慶伊道彦 IVY STYLE 手引き / White Jeans で 80’s スタイル

Kay こと慶伊道彦のCoffee Break

“ホワイト・ジーンズ” 60年代、アメリカでは若者に圧倒的な支持を得る。日本でもアイビーのカジュアル・スタイルには不可欠な存在。ブルー・ジーンズはいらないけどホワイト・ジーンズは必須アイテムという教育を、僕らは先輩から受けました。

MENS CLUB より引用
MENS CLUB / イラスト穂積和夫

僕らはアイビー黎明期、この映画を観てアイビー・スタイルなるものを知る。60年代 ”のっぽ物語” アイビーなど知らなかった時代、主演のアンソニー・パーキンスは一躍日本でもアイドル級人気スターとなる。ホワイト・ジーンズは、この映画で初めて観ました。長身のトニパキのなんてカッコいいパンツなんだろうと、それ以来虜になる。

“のっぽ物語” より

ホワイト・ジーンズは、その後、ブルー・ジーンズに取って代わられる。反戦運動やウエスタン・カジュアルが広まることが影響した。しかし80年代に入り、プレッピー・ブームが起こりアイビーの復権、ホワイト・ジーンズもまたカンバック。90年代の ”キレカジ” “フレンチ・アイビー” まで、その人気は続く。

ブルー・ジーンズと比べてもホワイト・ジーンズは、爽やか感が満載!曰く御坊ちゃま気分を与えてくれる。

MENS CLUB より引用

今シーズン、ホワイト・ジーンズが再びカンバック!(今のところ、僕の中ではですが)

昨シーズンは、チノパンが、久々に大ブレーク!そして、今シーズンは白パンツが続く。曰く綺麗めアイビー。コイツが何とまあ〜便利なシロモノで。ブレザーを羽織っても、ハリントン・ジャケットを羽織っても、はたまたクルーネック・セーターだけでも、ピタッとハマるんです。実にイージー。

白のワーク・パンツは、レギュラーフィットでもルーズフィットでも、気分でもって穿き替えても、スタイルは変わらず。足元は、シンプルなスニーカーがベスト。バランスで重くしたい場合は、ダーティー・バックスやデザート・ブーツでもカッコいいですね。

ホワイト・ジーンズは、”ベッドフォード・コード” や “カツラギ” 生地が多く、ブルー・ジーンズより少し薄め少し軽めがポイント。藍染の色落ち感を楽しむブルー・ジーンズと違い、あくまで白の洗いざらしを楽しむ。また馴染むことで、ジーンズも合わせているスニーカーも、段々と薄汚れてくるところも魅力。

さあ〜久々に白パンを楽しみましょう!

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慶伊道彦 IVY STYLE 映画 / “アニーホール” New Traditional Style

Kay こと慶伊道彦のCoffee Break

ウディ・アレン映画の中でも、特に誰からも好かれる映画 “アニーホール” 勿論、皆さんも一度は観ていらっしゃるかと思います。数年前から、70年代後半のニューヨーク・スタイルに再度脚光が当たり始めました。ウディのゆったりとしたチノパンは、メンズショップの売れ筋No.1 となり、ヴィンテージのM-65 フィールド・ジャケットも相変わらずの人気です。

何度観ても飽きないこの映画のスタイルの魅力を伝えます。

オープニングの子供時代の家族の観察場面が楽しい。勿論厳格なユダヤ人家庭で、母親の口煩さにヘキヘキする日常。父親の仕事は、Bumper Carsといって遊園地にある乗り物の営業マン (遊園地で小型カーがドンドンぶつかるヤンチャなカー遊具、50年代人気があった) 大食卓で大勢の家族親戚がワイワイ話しながらのシーン、家はコニーアイランドのローラーコースターの下という面白い設定。ウディはこのネタを膨らませて、2017年公開の映画 ”女と男の観覧車”を作っています。

Bumper Cars 引用写真
“女と男の観覧車”より

この映画、なんと言ってもアニー役のダイアン・キートンの魅力爆発!写真のポロ・メンズ・スタイルはアニー・ルックとして大ブレークしましたが、それ以上に彼女の発する奇声や小悪魔的な仕草に魅入られてしまいます。この映画で、ダイアンは、自分のキャラとか演技力とかに目覚めたのではないでしょうか。その後の、”ミスター・グッドバーを探して” “インテリア” “マンハッタン” “レッズ” で次々と魅せてくれました。

この表情にやられました
二人ともDUNLOPなのですね

二人が親密になるアニーのアパート屋上のシーン、ニューヨークの屋上にこの様な簡単なテラス風なスペースがあり、住民たちは、ここでコミュニケーションします、ミニパーティ的な。特に、この映画の影響か80年代から90年代にかけて屋上に、オープンテラス的なカフェが数多く出現、日本で僕らが考えるデパートの屋上的とかではなく、手を加えてないそのままの古さを生かした屋上スペースで。

いい感じの二人、ここはホワイトで合わす

このシーン!ロブスターとの格闘シーンなのですが、実に愉快に演技しています。いや、演技すると言うより普段の二人の会話の延長上と思えます。この映画の公開時には実生活では別れているのですが、お互いリスペクトしているのでしょうね。

RIZZOLI ニューヨークの独自な品揃えで人気が高かった本屋さんでのシーン、チェック・シャツで二人はかぶってます。ダイアンは、メンズライクなジャケットとパンツで、ウディは、ワイドラペルの広いニュートラ・ジャケット、サイドベンドとなってます。70年代半ば頃は、ラルフ・ローレンPOLOスタイルの全盛期、オシャレなニューヨーカーの必需品となりました。素敵な本屋さんのRIZZOLIはソーホーに移って魅力が半減しましたが。

公園ベンチで通行人の品定めをしているシーン、通行人の一人に、あのカポーティ氏が実名で登場して驚きました。ウディのスタイル、茶のコール天ジャケットに細かいチェック・シャツ、トレードマークの色モノTシャツを覗かせています。

ロスアンジェルスでのパーティ・シーン、ポール・サイモンが音楽プロデューサー役で出演、ここでは、圧巻のダイアンのスーツ・スタイル、POLOスタイルのベージュ・スーツ、ツータック・パンツに、当時トレンド入りしたウォッチポケットが付くと言うオシャレぶり。ウディのニュートラ・ジャケットには、ステッチが入っていません。この頃、ブリティッシュ・スタイルへの傾斜を強めていたラルフは、ステッチを省いたジャケットも多く発表していました。

とはいえ、やはりアメトラにステッチは欠かせないかと。このシーンでは、ステッチ入りとエルボーパッチ、ウディらしい味わいが出ています。

ウディの同じブラウン系ジャケットの2つのシーン、一つは、カラーシャツにレジメンタル・タイ、そしてチェック・シャツにはトレードマークのTシャツ覗かせ。

70年代半ば頃から、この様にパンツ裾が広めとなる。純正アイビーからの脱皮。日本でも、ツータックウォッチポケット付きのパンツが大流行り。ベルトも太くなりバックルに凝る様になる。

ウディは、様々なチェック・シャツを魅せてくれる。その際、必ずシャツの第一ボタンを外して中のカラー・Tシャツを覗かせる。

このシーンも、二人の親密さをよく表しているかと。クリスマス・シーズンに一方は赤のタータンチェック・マフラー、相方は赤の入ったアーガイルチェック・ベストと。別れのシーンでこのスタイル合わせとは皮肉ですが。

ベトナム戦争反対運動が影響しているのかどうかわからないが、当時 M-65 フィールド・ジャケットをニューヨーカーがタウンスタイルで着る様になる。ウディも好きな様で他の映画でも着ている。右手のマクルーハン本人の登場には驚いた記憶がある。

よく映画に使われるシーンだが、ロングアイランドでしょうか。このシーンだけで、ロマンチックな気分を醸し出します。

番外ですが、”マンハッタン殺人ミステリー”より、”アニーホール”から16年後の映画ですが、実生活で別れた二人は、相変わらずの名コンビ!二人のベージュ色コーディネートが素敵でした。

ダイアン・キートンは、2000年代に入ってもいまだに素敵で、俳優としても第一線で活躍しています。ウディ・アレンは、ME TOO 運動で批判に晒されて自粛中。アマゾンプライムでレンタルできない作品もあるのが残念です。作品は作品!ウディ映画を楽しみたいです。

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慶伊道彦 IVY STYLE 講座 / アメリカン・トラディショナル・ルックの発展史

Kay こと慶伊道彦のCoffee Break

服飾評論家であり、一時 ”シャンタル・デュモ” の代表も兼務された林勝太郎氏が、MENS CLUB に投稿した記事より、ピックアップして纏めました。

1: アイビー発展史/アメリカン・トラッドの歴史

MENS CLUB より引用

アイビー・リーグ・モデルの発表されたのは意外と遅く1958年、(日本でも、その後すぐにアイビーモデルが発表されてます) 、その7年前にナチュラル・ショルダー・モデルが発表、これがアメリカン・トラディショナル・モデルの誕生にあたるかと。

ただ、アメリカントラッドの起源となると、1867年に発表された英国のサックコートが、今日の基本モデル、同時に背広の原型でもある。

1930年代に、ユニバーシティ・モデルが発表。この頃より、英国トラッドとアメリカントラッドの違いが見えてくる。よりテーラードでボディラインを強く出す英国に対して、アメリカントラッドの方は、よりソフトによりナチュラルになる。英国の主体である仕立屋の服とレディメイドが中心になるアメリカントラッド服の差が出てきたといえる。

2: トラッドの概念

トラディショナルとは物ではなく、精神と考える。<<<林勝太郎談>>>

トラディショナルを正しく理解し、その定義を守りながらオシャレを楽しむことは、かなりの忍耐と辛抱強い信念が必要。

これは、アメリカ建国の歴史に見ることが出来る。メイフラワー号の乗客102人、彼らは信仰心の厚い清教徒たちでした。彼らが新しい国の可能性に見出したのは子供たちの教育でした。教育を大切にしたことが、わずか移民してから20年後には、ハーバード大学を創立させると言う偉業につながる。

教育としてのトラディショナル概念が大学を作り、また大学がスポーツを生んだ。日本でよく言う文武両道に近いかと。トラッドのスポーツ精神が、アメリカン・フットボールのリーグマッチを生み、その後、そのリーグの名をアイビー・リーグと呼ぶ。アイビーの誕生である。

アイビー誕生の詳しい話しは、僕のブログ ”アイビー黄金時代” 等で語ってます。

北軍へ制服を提供し成功した “Brooks Brothers” 、アイビー校周りに出店した “J.Press” が、その後のトラッドスタイルを牽引する。

3: 型の定義 / アメリカン・トラディショナル

MENS CLUB より〜引用

ナチュラル・ショルダー / パイプドステム

僕のブログ “アイビー・ディテール” 編で、詳しく述べてますので参照してください。

上着のボタンスタンス、アイビーは、13cmと広いが、アメリカン・トラッドは、12~11cmとやや狭くし、上のボタン位置もポケットの横より2cm位、下からスタート、段返りとなっている。(アイビーは、ポケット横よりスタート)

ステッチもアイビーモデルより、やや狭くなりコバステッチまで様々。ラウンド・アウェイもアイビーより、より小さ目で、直線的なカットに先だけ丸くなる。

パンツは、ウィズアウト・フロントダーツ、つまりノータック。ローライズで斜めポケットで手を出し入れし易くしている。ベルトループとターンナップは必須。

4: トラディショナルの現代史

MENS CLUB より引用

アメリカン・トラディショナルの頑固な扉を開けたのは、間違いなくラルフ・ローレン!長らくファッションデザイナーがIVYに手を出す事はタブーでした。その扉を開いたのがラルフ・ローレンでした。彼が ”コロンブスの卵” とも言えるニュー・トラッド、ブリティッシュ・アメリカン “UP-DATE TRADITIONAL LOOK” 、を生む。その後は多くのアメリカン・デザイナーが出てくる。アレキサンダー・ジュリアン、サル・セザラニ、ジェフリー・バンクス、など。

一様に、ワイダーラペルのロングターンのローツースタイル、パンツはオックスフォード・バックス調のゆったりシルエット。

その後、ハイウエスト、本来のパイプドステムに近いスリムシルエットになる。そして、機能性やスポーツマインドを取り入れたスタイルを加味していく。

以上、簡単にトラッドからニュートラッドへの変化を語る。

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慶伊道彦 IVY STYLE 手引き / ポケットチーフいる?どう合わす?

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ポケットチーフ、その昔はフォーマルな場での飾り物。そのため、リネンの白無地を三ツ山、二ツ山で刺すのが基本。

上記写真のように、2ピークス(もしくは3ピークス)に折り込んで刺す。この程度の出し方が基本と考えればいいかと。下記写真のように、TVホールドで5mm~くらい出すのは、60年代流行りました。(この写真では、ちょっと出し過ぎかと)

ポケットチーフが、TVキャスターのスタイルで定番になって (つまり一般的なオシャレさん) 、もう15年近く経つかと。90年代アルマーニが闊歩している頃は、それほど重要なアクセサリーではありませんでしたが、アルマーニのファクトリーブランドであるゼニア、そしてキトンなどイタリア・アパレルブランドがトレンドになるに従って、ハンカチの地位も上がってきました。イタリアンらしいスタイルのアクセントとして。

それが、今日では誰もが決まり事のようにポケットチーフを多くの方が刺しています。クールビズでノータイになると、さらにアクセントとしての重要性が高まり。そうなってくると、必然的に出し過ぎたり目立つ柄を選んだりと、ちょっとづつチーフが過剰なデコレーションとなってきました。

かく言う僕も何を隠そう、2000年代はポケットチーフにハマっていましたね、上記のごとくいささか出し過ぎなフォルムで。色、柄、バランスとも派手に。またそれが受け入れられた時代ではありましたが、もうそれがカッコいいスタイルではない時代となってきました。

引用写真

この写真では、チーフの出し方は派手ですが、色柄をジャケットと合わせているので、何とか浮いたかんじには見えない例ですが、テクニックとしては難しくギリギリです。出し過ぎ注意予報発令!

基本的には下記写真のようにちょいとだけ出したい。その方がインテリジェンスを感じさせますので。

華麗なるギャッビー

ポケットチーフを上手く捌くコツは鏡にあります。鏡に写る自分自身を絵のキャンバスに見立てます。 Vゾーンのシャツカラーとネクタイ、そしてジャケットのラペル、その右手にポケットがあり、そこからチーフがのぞきます。バランスを考えるとチーフがたくさんポケットから出てなくても、少しの色柄がのぞくだけで、十分チーフの効果があることが感じ取れます。

北北西に進路を取れ

我らがケーリー・グラントは洒落男ですが、ポケットチーフを刺すシーンが圧倒的に少ないです。晩年は特に。なるべくミニマムにしたかったのでは。グレー・カラーをより美しく見せるため、無駄な飾りを入れたくなかったのでしょう。サングラスを入れる場所と考えていた?このように、ポケットチーフは必ずしも紳士スタイルの必需品ではないことの証明。

白ポケットチーフといい入れ方出し方といいエレガントを知っている人のテクニック。上記写真はツゥーピークス、下記写真はアイビーホールド(パフ)

ポケットチーフには、いくつか入れ方と言うか刺し方があります。60年代に流行ったTVホールド(現在もスタンダードなスタイルとして人気) , IVYホールドと言ってシルクプリント柄のチーフをつまんでちょいと出すスタイル、パフとも言います。スリーピークス(ツゥーピークス) 麻や綿のハンカチを畳んで山をつくり入れる。(ポケットチーフの入れ方や知識は、僕のYouTubeでも話していますので、参考にしていただけたら)

どうも近年のポケットチーフは、ポケットから出過ぎに思える。ささやかなアクセントだからカッコいいのに、主張しすぎて、俺はオシャレさんだ!と大声で自己主張して紳士ぶるのは、もう流行りではないのかと。

以下、こんな合わせ方はやめませんか?といった例を写真紹介しました。

引用写真

一見オシャレなスタイルですが、芸能人は別としても、クールなスタイルではない。シャツとポケットチーフを共にするというテクニックも2000代初めにイタリアンで流行りましたが、合わせ過ぎは今日の時代性ではないのかと。いかにも見え見えなテクニックは、今の時代恥ずかしい。

引用写真

ネクタイのグラントカラーと色を合わせる、このやり方を勧めるスタイリストが多いですが、これもやり過ぎ!紳士は、私はオシャレさんですと主張し過ぎてはいけないのです。この場合、ネイビー系のプリント小紋柄を刺すべきかと。ポケットチーフを活かしたい場合は、ネクタイはネイビー無地に。

ネクタイのグラントベースに合わせて同色の無地チーフをするというのも、僕は好きではないです。白チーフであるべきかと。もし色を刺したい場合は、ジャケットに溶け込むカラーに。

よくTVアナウンサーに見るパターンですが、造花のごとくポケットに綺麗に盛り付けされています。これも、無造作感が紳士スタイルという観点からすると、やりすぎかと。コツはサッと入れサッと整える、チラッと出す。下記写真も同様な気持ちの悪さ。コラージュのようですね。

石津謙介氏の評論本でも紹介しましたが、本来普段着の紳士スタイルには、ポケットチーフは必要ありません。ポケットチーフは、フォーマルなもの。あえてアクセントとして特別に入れているんだと言う考え方がいいかと。古い洋画のシーン、鼻水を拭いサッとポケットに刺すシーン、よく観ますがそれを真似たいものです。あくまで、さりげなくチラッと。

——以上、上記写真は、全て引用写真です——

最後に、”ティファニーで朝食を” ジョージ・ペパードのスタイルより〜 ポケットチーフの基本

今年一年、僕の拙いブログをフォローしていただきありがとうございました。今年はコレで終了、来年2月から再開したいと考えています。

2023 / A Happy New Year!

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慶伊道彦 IVY STYLE 講座 / “Hill & Drake” そして “Drakes” へと

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Mr. Michael Drake / 80年代

“HILL&DRAKE” は、アクアスキュータムのアクセサリーデザイナーだったMICHAEL DRAKEとターンブル&アッサーのネクタイデザイナーだったCHARLES HILLが1986年に立ち上げたブランドです。

15年来の親友、マイケルドレイクとチャールズヒルは、英国で入手可能な最高級素材だけを使用し、伝統的な職人気質を貫くことで、洗練されたブリティッシュスタイルの “タイ” と “スカーフ” を創り出しました。

HILL&DRAKEは、パリのオールドイングランドやニューヨークのポールスチュアート、イタリアの有力な専門店など、世界中の超一流専門店が扱うインターナショナルなニューブリティッシュタイとして瞬く間に世界的に注目されるブランドとなりました。

Hill&Drake Catalogue

立ち上げから1年後の1987年、僕は日本での販売ライセンス契約をしました。何より、Michael とは、スタイルセンスが似ていましたので求めるものも同じで。また彼はブルックスブラザーズが大好きで、いわゆる一般的英国人の面々とは違い(おかしな言い方ですが、アメリカっぽいというかインターナショナルというか) そこですぐに意気投合しました。

当時の HILL&DRAKE は英国で入手可能な最高級生地だけを使用し、一本一本ハンドメイドで縫い上げるという伝統的な職人気質を貫くブランドとして話題となりました。

Seven Thread Silk で織られたスーパーレップレジメンタルタイと、REAL ANCIENTO MADDER (リアル エンシェント マダー)と言われる草木染の一種で (古くから英国に伝わる伝統的な技法で染められた生地) 天然染料を使い40オンスのヘビーシルクツイル生地にゆっくり染み込ませて染めるプリントタイ、この二つのネクタイは、Hill&Drakeを代表的する商品になりました。

1993年、二人は前向きにブランドを解散し、それぞれのブランドを立ち上げます。僕 (FAIRFAX) は、センスの近いマイケルドレイクと共に歩むことを決めます。
(因みに、チャールズヒルは、クリケット社と契約)

マイケルは、ファッションだけでなく、ライフスタイルにも通じていました。ですから、最初のオフィスは、Old Bond Streetの何と現在シャネルがある伝統ある古い建築物。歴史を感じる狭くて曲がった階段を思い出します。

引用写真

その後、やがてトレンドタウンとなる東ロンドンのOld Street に移転。名前の通り古い古い街、そこでも歴史ある面白い建物を借りました。マイケルは、古くてもセンスあるストーリーが大好きなのでした。

そういえば、GIBSON ギターの収集家でもありましたし、古いポルシェやホンダNSXを乗り回してました。やはり、カッコいい英国人です。

“Drakes” の誕生!

そして、その後の ”Drakes” ブランドの発展具合は、皆さんご存じの通りです。世界のクラシックなメンズ市場でネクタイといえば “Drakes” という位、評価は高くPITTI 会場でも、一番賑わっていました。

日本では、BEAMS F にてメインで展開、その後、伊勢丹、各地有名メンズショップでも取り扱い、高評価をいただきました。

2013年、マイケルドレイクが引退、会社は新しいオーナーの所有となります。
(歴史的にみると面白い事ですが、チャールズヒルの息子マイケルヒルが、その責任者に就任)

Michael Drake & Michael Hill

その後 “Drakes” は、アパレル総合という新しい道に進みます。創業してからおよそ25年以上経ち、ネクタイマーケットを取り巻く環境も変わり厳しくなってきた故、当然の道でした。

それが通用したのは、Michael Drake が、Hill&Drake の時代からズーッと守ってきた英国風にイタリアンセンスをミックスさせるという企画戦略。これはまさに現代のトラディショナル市場の太い柱であり流れです。

Haberdasher St. Lebel

Michaelと僕、二人が知り合ってから、35年!
本人の名前がアパレルブランドとして独り立ちすることは、永年パートナーを務めていた僕にとっても、非常にうれしいですし誇りにも感じます。

“Drakes” ブランドの立つ位置は、ストリートを取り込んだプレッピースタイルが基本コンセプトのように見えます。これは、今シーズンのマストでもあります。今後のブランド飛躍を楽しみにしています。

Michaelとの写真 / 2010年頃

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慶伊道彦 IVY STYLE 講座 / John Comfort Tie Story

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1908年創業の英国老舗ネクタイメーカー。
英国で入手可能な最高級素材だけを使用し伝統的な職人気質を貫くことで、ネクタイマーケットでの高いブランド力を持ち続けることに拘る

ネクタイ生地は、ロンドン郊外に200年以上前からある工場でつくられ、エンシェントマダープリントやセブンスレッドシルクといった当時から高い技術を要する製法で、 品質とクラシックな風合いに織られたり染められたりしている。

John Comfort 1937

1908年、イギリスのロンドンで「ジョン・コンフォート」により設立された「The Cathedral Knitting Company」がスタート、ハンドフレームのニットタイを生産し始めたのがタイブランドとしての始まりと言えるかと。1920年には会社名を「J.Comfort and Company Ltd.」と改名。織タイやプリントタイも始める。1930年代には、レジメンタルストライプのタイなど「クラシックコレクション」として、新しいアイテムを展開。

Alan & Richard Comfort

二代目Richard Comfortは、販路を世界中に拡大。クラシックタイ市場のNo. 1ブランドとする。

Richard Comfort

日本でもジョン・コンフォートタイは人気でした。50年以上前の事ですが、僕の営業時代、ジョンコン(以下略称で)のプリントタイは、各繁華街の一流洋品店でも特別な扱いでした。英国で作られる抜染メのプリントは、当時の僕には宝物のようなネクタイでした。

引用写真/丸善や神戸元町バザーなどの老舗で販売

70年代後半のトラッド離れから、ジョンコンも徐々にマーケットから消えていきます。これは、アメリカでも同様の動きで、他のブランドメーカーにとっても似たような状況となりました。

80年代の広告から

70年代、僕も仕入担当としてジョンコンによく伺いました。その頃は、二代目リチャードが、まだ社長で健在でした。

引用写真 / 80年代のラベル

80年代、僕が会社を興した後、再びロンドンのジョンコン訪問をした時も、まだリチャードが社長、古い手動式のスケルトンエレベーターで恐々オフィスまで上ったのは、今ではよい思い出です。

引用写真/当時の商品写真/Fairfax Catagogueより

その後、孫のデヴィッドが三代目社長に就任。新しいトラッド市場での巻き返しに乗り出すのですが、いかんせんNo. 1の位置には戻れませんでした。ブルックス・ブラザーズのおかれた状況と同じような立場で、市場に置いていかれた感が。その頃は、僕も一緒になって仕掛けていた DRAKES が、その地位を奪ってしまっていましたので。

契約後の記念食事会

そして、2010年代に入り、デヴィッドは、会社を整理します。僕はJCブランドの持つ英国スタイルというイメージを、なんとか再興させたいと考え、2016年、ジョン・コンフォートブランドをもう一度復活させましょうと、デヴィッドを説得しブランド契約。
英国で入手可能な最高級素材だけを使って、再度、ドレイクスが強いマーケットに食い込むよう計画。(Drakesは、Michaelが引退、それに伴い僕もDrakes契約から外れる)

まずは、商品の顔となるネームタグのデザインからスタート。古いエンブレムからモチーフを頂き、英国の香りや他にないインパクトを第一にユニークなクレスト型ネームをデザイン、高評価を受けました。

特に BEAMS F で好評、たくさんスペースを頂きましたが、今日でも大切に扱って頂いていることが伺えます。(勿論、もう僕は退社し関係がないのですが、仕掛けた者として嬉しいです)

特に今シーズン、ビームスFにて関心が高いラインのようです。80年代、このようなデザインを仕掛けた事を思い出します。ビックデザインが主流だからこその打ち出しでしょうか。

そういう訳で、ジョンコンフォートは、現在日本でのライセンス生産のみになっていますが、むしろそれが功を奏し、イメージのキープを図りやすく、60年代、ジョンコンが輝いていた頃と同様、No. 1ブランドの地位にまでなれば嬉しいです。(一部、John Comfort Catalogue からの引用を致しました )

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慶伊道彦 IVY STYLE 手引き / ネイビー・カジュアルは大人にこそ

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ネイビー・カラー!この色ほど鈍らな大人にとって使いやすい色はないです。体型、顔、時間さにかかわらず。またどんな色にでも合わせちゃいますし。ネイビーは日本語では”濃紺”となりますから、紺より濃い目となりますが、ここでは紺色全般を指してのネイビースタイル提案としました。

紺には、ミッドナイトブルーから、ネイビーブルー、ロイヤルブルー、スマルト等まで多くの色メがありますが、僕は、灰色がかった紺系と綺麗め紺系の二分類にのみ分けて、コーディネートします。つまり、綺麗メなら綺麗メだけの紺でどの紺色を合わせても大丈夫といった具合に。ネイビーブルーは、そのどちらにも相性はいいと思います。ちょうど真ん中に位置しているかと。

上記の写真は、綺麗めブルーのみ重ね合わせたスタイル。ナイロン地のブルーとキャップ、スニーカー、スエットパンツ、それらの色が少しづつ違っていても全然気になりません。いわゆるファミリー・カラーでの括り。

上から、ニットキャップ、バルマンコート、ネル・シャツ、スエットシャツ、軍パン、適当にそこらにあるものを構わず重ね合わせたスタイル。寝起きのコンビニからカフェまで大丈夫スタイル。

紺ブレもネイビー仲間、スエットとの相性もよし。また、ネイビーにホワイトを合わせると、ミニマルなスッキリ品の良さが出ます。

今シーズンは、ネイビーにレッドを合わせたい気分。10年おきくらいに来るんですよね。この合わせカラー。

ピーコートにブルージーンズ、ブルーのダウンベスト、こんな一昔前のモノも紺だけでコーディすると、そこそこのスタイルとなります。紺は便利、なんでも来い!です。

寒い冬が来ていますが、あっという間に春の足音が。今年のトレンドなんて言ってる場合でないですよ、皆さん。タンスに眠っていませんか、紺の品々が?面倒がらずに引っ張り出して、紺括りのコーディをしましょう。絶対にカッコいいですから。

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慶伊道彦 IVY STYLE 映画 / “北北西に進路を取れ” グレー・スーツを愛でる

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ケーリー・グラントがヒッチコックと組んだスタイリッシュ・サスペンス映画、オープニングからカッコよく飛ばしてます。この映画は、まさに ”グレースーツを着た男“ ケーリー・グラントのグレースーツ・スタイルを堪能できます。

お馴染み、どこかで必ず一回チョイ出するヒッチコック、今回は、オープニングのバスに乗るシーンで。

国連本部ビルでのシーン、設計は、当時の一流建築デザイナー達の政策委員会を中心に進められたそうですが、ル・コルビュジェもその一員で、そのフォルムも美しい。

ケーリー・グラントの相手役は、エヴァ・マリン・セイント、マーロン・ブランドの ”波止場” で、可憐なカフェ店員を演じたのが印象に残っています。この映画では、ミステリアスなエージェント役、ケーリー・グラントを翻弄します。なんと言っても声がいいですね、艶がある。

これはまた珍しい赤帽衣装、楽しませていただきました。

“電信柱”スタイル、肩からパンツの裾まで絞りもなくストーンと落ちるシルエット。アイビーに通じるものがあります。違いは、ステッチがないこと、ノーベント、肩パットが入っているところかな。ナチュラルショルダーですが。60年代アメリカン・スタイルの典型、ジェームス・スチュアートに代表されるスタイルです。

第一ボタンの位置のロール具合が痺れます。柔らかく自然に丸みを帯び。仕立てが悪いとロール返りが出ませんから。ボタン間隔を狭くしてVの開きを広く取ります。

お次は列車内のカクテル・シーン、”ギブソン” をオーダーします。マティーニでないところが、監督ヒチコックらしいですし、またケーリーに似合います。(関係ないですが、マティーニならボンドです) 同じジンベースカクテルで、マティーニはオリーブを入れギブソンはカクテルオニオンを入れたものです。もっともプロ・バーテンダーに言わせると、作り方が変わるようですが。一見、マティーニよりも生成り色のオニオンが入るギブソンの方がエレガントに映ります。マティーニは、アルコールに強いアメリカンをイメージします。

役柄がアメリカ人なので、シャツはボタンダウンシャツ、ところがさすがの英国生まれのケーリーは、なんと!ダブルカフスにしちゃいます。そして、背中もボックスプリーツではなくギャザープリーツ、ビスポークでしか出来ないシャツを魅せます。

さすがのケーリー、シャツの下にTシャツは着ません。英国人ここにあれというスタイル

胸ポケットをつけないのが英国流、ネクタイは裏地なしで、手巻きで大剣の裾を仕上げてます。全てがサルトリア・スタイル、しかしアメリカンな味付けをしてます。

この映画、共演者もオシャレに迫ります。教授役のレオ・G・キャロル、いつもカッコいい脇役をしていますが、今回もコンチ・スタイルのグレースーツを決めてます。

敵役の二人、ジェームズ・メイスンとマーティン・ランドー、かたやスーツの中のオッドベストが憎いですし、マーティンのフラップ付きコンチスーツの着こなしもさすが。

メイスンはアメリカン・スタイル、コートのステッチやシルエットが決まってます。

ケーリー・グラントのオヤっと思って観たシーンから。ソックスがダークでなくライトカラー、白ソックスではないですが、かなり明るいグレーかと。スリッポンタイプ靴を合わせるところもアメリカンを意識しているのかも。

付録: 当時の寝台列車、ファーストクラスですが、上の荷物入れがベッドにもなるが、とてもロマンチックな気分にはならないでしょうね。コミカルなシーンでした。

この映画、全シーン!見逃せません。”パリのアメリカ人”ならぬ、”ニューヨークのイギリス人” スタイルが満載のこの映画、何度も何度も観ましょうか。

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慶伊道彦 IVY STYLE 講座 / “大人のお洒落 / 石津謙介” その2

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石津謙介氏のコラムを纏めた本からいくつかテーマを紹介し、氏の考え方を理解することでスタイルアップへの一助となればいいかと考えました。そのパート2

6: オフィスの服

ビジネススーツ、オフィスという環境の中で通用するためには、自ずと長い間に出来上がった不文律みたいなルールがある。そこで、保守派といわないまでも常識派であり、自分の着る服で、他人との差をつけようなどという意識に賛成出来ない人達にとってのビジネススーツのルールを列記してみよう。

まず第一に、服の色は濃紺と、中ぐらいのグレーから濃いグレーまで。紺とグレー、この二色はウール地である以上、オールシーズンにあてはまる。盛夏用の木綿のスーツとして、コードレーンがあるが、これも正式な場所には通用しない。

オフィス用の服の柄だが、ほとんどの柄物はオフィスには不向きとされている。しかし、濃紺やグレーに白鼠の線の入ったチョークストライプの三揃は、たまに見受けられる唯一の柄物であろう。

“ビジネスの場で着る服に、個性は不要” 個性というものは、その人の着る服のことではなくて、着る人自身、その人間そのものにこそ必要である。人と違った服、キラキラと輝くアクセサリーな、色物のハンカチーフなど、そんなもので他人との差異感をつけようなどは以ての外で、自分の無能振りをさらけ出していると言いたい。

“逃亡者” デヴット・ジャンセンのスーツスタイル

先生は、その秘訣はテイスト、すなわち趣味のよいといわれる人。しかしこれは一朝一夕では出来上がるモノではないとも。色々と書かれてますが、まずは体の中から滲み出てくるものだと語られてます。

7: 半パンツ

何といっても涼しいいでたちといえば半パンツを上手に活用すること。問題はいつ、どこで、どのようにはきこなすかということ。妙な流行に振り回されている若い連中のように、太もも丸出しショーツやゴム草履というわけには参らぬのが中年、実年のなやみでもあります。

そこでお勧めしたいのがバミューダ・ショーツ、それに必ずストッキング、ひざ小僧までのいわゆる長靴下をはく。すなわち白シャツにきちんとネクタイを結び、それに黒靴なら夏場の通常着として堂々たるものである。

バミューダ諸島の正装スタイルから〜引用写真

妙な流行に振り回されて、派手で目立ちさえすればいいという若い連中をしり目に、この昔からの紳士のたしなみを忠実に守り、オーソドックスな中に少しだけ現代の感性を上手に盛り込むこと。新しいTPOの解釈こそ現代的という意味だと私は考える。

本当の話、僕は今でも夏場に何度か、そうですね50年間以上、このようなバミューダ・スタイルをします。やはり気分が高揚しますね。まずやっている方はいませんが、それほど気にもなりません。大切なのは、バミューダ・ショーツは、トロピカル・ウールのグレーにすること、これだけでシックなビジネススタイルになります。

夏場のクールビズ、何かとネクタイだけが悪者になってますが、パンツを半パンツにするとか、ジャケットなしで、半袖シャツにネクタイとか、そんないくつかのパターンも紹介してはいかがでしょうか。

8: もっとブレザーを

紺フラノ・ブレザーというのは、上下お揃いで着れば、相当にきちんとした場所に出てもおかしくない。そして、ブレザーにグレーのフラノのズボンと組み合わせれば、それこそ着る範囲はうんと拡がる。私なんか、紺のブレザー一着で殆ど一年を通している。そして夏のためにポーラーか麻の風通しのよい薄地のものを一着持てばいい。

“ティファニーで朝食を”

日本人は夏が来ると淡色の服を着たがるが、季節にとらわれず断固として濃色のもの、ダークスーツを着るというのが、世界に通用する都会的なマナーというべきであろう。ビジネス用にはダークスーツを、である。

職場において、紺ブレザーを着るということが、もっと奨励すべきことではあるまいか。

ブレザーとグレーウールパンツで

9: 野暮とキザ

おしゃれという言葉は、ある人には褒め言葉と受け取られ、ある人には冷やかし言葉とおもわれて、良い意味にも悪い意味にも通用するらしい。

おしゃれをもっと積極的な意味としてとらえ、人に見せるためのおしゃれ、自己主張こそおしゃれと思う人もいれば、自分ひとりで悦に入るおしゃれで充分満足している人もいる。いずれにしても、おしゃれはオーバーになると全く鼻持ちならぬというのが通説で、行きすぎるとキザな奴とけなされる。だから、おしゃれの演出というのは難しい。

ところで、キザな奴というのはいったいどんなひと?

一見、紳士風でありながら、自分自身を誇示したさのあまり、とにかく尊大ぶる人。自分がどんなに教養があり文化人であるかを〜〜、有名人を君づけで呼んで、いかにも親しい間柄らしく〜〜、などなど多々キザな人に関して書かれてます。さりげなくオシャレというのは、全く難しいものですね。

10: 海外旅行でのマナー

まず、”相手の家を訪ねた時、着ているコートや帽子は?”

——-帽子をとって、コートを脱いで玄関へ入って行くのは、長居しますという意味になる。だから、コートは着たままでよい、”どうぞ、コートでもお脱ぎになって”と言われてから脱ぐのがよい——-

僕が若い修行時代、お得意先ショップの玄関前で必ずコートは脱いでいくように教えられました。多分に、濡れたコートで店内を汚さない配慮からでしょうか。

“相手の名前はその場で覚える”

——-日本人はすぐに名刺を出すくせがあるが、向こうの人は商売上の必要からでなければ肩書つきの名刺は出さない。会話の中では相手の名前で呼びかける——

アメリカ映画でおなじみですね、〇〇と呼んでください、なんて。私事ですが、僕は名前を覚えられない病があるらしく、、だからすぐに手帳に書くようにしますね。

“子供達への挨拶も忘れずに”

“サンキューとエクスキューズ・ミー”

日本人はこの言葉を言うのが下手くそ、という評判をきく。これは使いすぎてもマイナスになることはない。

“小銭のおごりは逆効果”

ちょっとした金額の時に、”私が払っておきますから” などという心遣いは不要である。チャンと割り勘ということが当然のことらしい。

以上、僕が勝手にコラムを選び、石津謙介氏の言葉をかりて、僕が感じるスタイルに対する疑問等を抜き出ししました。全文でないので、先生の言葉を誤解して伝えていないことを祈ります。また、1988年出版なので、時代性と多少は違うところもあるかと思いますが、やはりそこは先生がおっしゃるごとく、男のスタイルの基本は全く変わらないかと思います。

皆さんそれぞれのスタイル論があるかと思います、それはそれで正解、スタイルを楽しみましょう!

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慶伊道彦 IVY STYLE 講座 / 石津謙介氏から学ぶ

Kay こと慶伊道彦のCoffee Break

石津謙介氏が70才代半ばで話されたスタイル談義、新聞や雑誌のコラムから、それらをまとめた本が出版。——-”大人のお洒落”——- 80年代発刊の古本をゲットして読んだのですが、これがもう興味ある話が多く、また少しも時代の古さを全く感じませんでした。そこでちょっと皆さんにも披露してみようと思いました。僕なりの抜粋と僕なりの理解度を加えて。

1: ビッグルック

今、ファッション界で話題になっている言葉がある。ビッグルックともオーバーサイズとも言われる。さて、大人がどのように取り入れるかである。

これが書かれた80年代もそう言えば、オーバーサイズなシルエットがトレンドとなりました。そこで、氏は若者のマネをしても似合わないが、やはり時代を捉えてる感も出したい。そこでの提案、着慣れたダウンジャケットを着てその上からオーバーサイズのステンカラーコートを着てみましょうと。ダウンのふっくら感がコートの大きさをカバーしてくれますとの事。然り!

年にかこつけて頭から現在の流行を拒否しないで、世界的な傾向を年齢にふさわしく上手に取り入れるという知恵も、大人の貫禄といえるのじゃないでしょうか。

僕は、古いダウンジャケットはもうとっくに処分してもっていないので、ダウンベストを中に合わせてみました。氏のおっしゃる様に中のだぶつきもなく、普通に着こなせます。新しいスタイルをゲットできました。

2: 胸のハンカチ

アナウンサーがニュースをしゃべっている時は、これはまさに彼らにとってはビジネスタイム。それなのに服に遊びがすぎたり、自分の趣味が出過ぎるのである。色も柄もデザインも。ネクタイだって派手でキザすぎる。その上、胸のポケットチーフ、相当なるご苦心の跡がうかがえるのだが、あれこそ余計な装飾だ。

胸のハンカチは、本来フォーマルな場所用、それが装飾として広まったのだが、近年あまりにも出しゃばりすぎるので、いかがなものか。余計な装飾なんだから。

昨今、ノータイの影響もありポケットチーフが主役に躍り出るようになりましたが、やはり出過ぎはどうなのでしょう。装飾やカラー過剰なスタイルが闊歩するのは、あまりみたくないですね。

胸のハンカチなんてほんのささやかな小道具にすぎない。しかし、その小さなワキ役が主役を台無しにしてしまうこともあることをご承知おき願いたい。

まずは、リネン白チーフをTVホールドやスリーピークする事から学びましょうか。

映画 “ヴニスに死す” より、このくらい派手目にチーフを出すには、相当な年季が必要。それでも白チーフだからこそ様になる。コツは、無造作感!

POLO カタログより

ツーピークの変形な刺し方、ハンカチがこのくらいのスペースで出る様にしたいものです。出し過ぎればスタイルに品がなくなります。また、ネクタイとの色合わせをしないで、白にするところも学びたい。

60年代、90年代は、ポケットチーフがダサい時代。あえて胸に色柄を持ってこないで胸元をプレーンにするのがスマートでした。映画 “アパートの鍵貸します” 一般職ということで鉛筆を差してますが、5年程前から僕らが真似ているスタイル。そろそろチーフは余計なアクセサリーとなる時代となってくるのではと。

3: フォーマル・スタイル

昔は、ホテルやレストランに行くと、スタッフの服装で仕事の役割がわかったものです。黒の一つボタンスーツにモーニング用パンツを合わせグレーの無地タイの人をみると、ああ〜この方は支配人。そしてパンツのみグレーに変わるとフロント責任者。襟付き白のタキシードだとチーフ・バーテンダー、襟なし白衣だとバーテンダー、といった具合に。

昨今は、ブティック・ホテルがわんさかできて来た事で、スタッフのスタイルも様変わり。全員アップルCEOの様な格好でいるから、その方がどのような役柄かわからない次第です。

仕事の責任者になると、フォーマルな場に出席することも多い。その際のスタイルマナーなりエチケットなりを心得ることが肝要と、しめていらっしゃいます。

ウディ・アラン “重罪軽罪” より〜 ウディは、カジュアルスタイルだけでなく、この様にフォーマルスタイルも憎い、肩の力の抜け具合が実にクール!

引用写真

トニパキのディナー・ジャケット・スタイル、写真から伺うところタキシードではないが、ライト・カラー・ジャケットを正にタキシードがごとく着こなしている。ここは学びたい。相方は、やはりオシャレさんで有名なタブ・ハンター。

4: ワイシャツ

その昔、“ハイカラさん” と言う言葉があった様に、上着の襟からシャツカラーを1cm 覗かせるのが常識でした。袖口からのカフもそう。それらは、上着の汚れの防止から始まったようだ。シャツは洗えば綺麗になるので。昔はホワイトシャツが原則だったので、襟山と袖口から1cm白カラーが覗くのがオシャレでした。そんな事で、オシャレさんのことを”ハイカラさん”と呼びました。シャツの効用の一つでもあったわけです。

昨今の男性は襟付きシャツを着なくなりしたね。IT系成功者のスタイル、つまりTシャツにジャケットというスタイルに。有名スポーツ選手もしかり。ここまでは、時代かな〜と、まあ〜致し方ないかな〜と諦めてもいいのですが、いまや、そのスタイルが流行りになり誰もが Tシャツ+スーツでカッコよく感じてる次第。まあ〜余計なお世話と言われるでしょうが、翌年もそのジャケットを着るのでしょうか?恐らく襟周りも袖口周りも、垢まみれのはず。クリーニングに出さない僕としては気になってしかたがない。 (クリーニングに出す方や毎年取り替える方には言う必要もないですよね)

5: ネクタイにも公私

それほど西洋流にこだわる必要はないかも知れないが、欧米ではちゃんとした仕事を持ち、社会組織の中の一員としての生活を持つ男の、個性的な服装、目立つ服やネクタイは、かえってヤボであり下品とされる。

2000年代に入り、ネクタイが派手になってきました。特に日本の方々のネクタイが。私見ですが、TVのキャスターやインスタ写真からの影響が大きいかと。画面が小さくネクタイ柄がハッキリ見えないため、目立つようにするには、どうしても大柄にするしかなくなったのでしょう。実際、目の前でお互い向かいあってみると、シンプルで小さな柄の方がスマートで賢く見えると思うのですがいかがでしょう。

アメリカのABC人気ニュースキャスターのデヴット・ミュア氏、結ぶネクタイは、ほぼネイビー無地タイ、稀にブルー、そしてシンプルなストライプなど。極めてプレーンにしています。また、ポケットチーフも刺しません。他のキャスターでも、せいぜいTVホールド刺しとかは見ますが。ポケットチーフは、1: で話した様に余計な飾り、ですから公の立場の方は刺さないのが正解かと。(僕が裁判所に呼ばれた場合、僕は刺さないで行きます、ジェームス・スチュアートも”めまい”の裁判のシーンでは刺してませんでした) 日本のキャスターの服装感はいかがなものなんでしょう。

国のトップ、もしくはそれに近い方々にもそれは言えます。なにかと批判を浴びるバイデン大統領ですが、ジェントルマン・スタイルに関しては満点です。シャツ襟の収まり方、それに沿うネクタイノットのバランス。何よりネクタイの柄。シンプルなストライプとネイビーカラーの小柄。およそ目立つ色柄は選びません。この点、特に日本の政治家は国際感覚からズレているのではないでしょうか。派手な色柄、エルメスやシャルべを選んでさえもライトカラーではどうしょうもないのではないかと。

以下、次回にもう一度、このテーマを続けたいと思います。

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