慶伊道彦 IVY STYLE 映画 / “ザ・ガードマン”

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東京警備指令 ”ザ・ガードマン” 65~71年までTV放映。 

60年代、オリンピック後の高度成長期!日本のお父さんのスタイルをして、カッコよく活躍するガードマン。僕にとっては、今のクラシコスタイルよりもクールだ!

ダダダ〜ン ダダダ〜ン キュッ キュッ キュッ “ザ・ガードマンとは、警備と保証を業務として、大都会の黒い襞に潜む犯罪に敢然と立ち向かう男たちの物語である” 芥川隆行のナレーションから始まるこのドラマは、当時茶の間の大人気に。東京オリンピックを契機に立ち上げされた”セコム”を下敷きにして物語を制作。

ガードマンは、普通のサラリーマンスタイルなのに、なぜかカッコいい!ダークスーツにスリムタイ、タイピンが昭和。

藤巻潤のスーツがカッコいい。肩の降り具合といいラペルの返り方といいアイビーになる前の原型を感じる。

キャップ役の宇津井健は、基本ビジネスマンスタイルだが、着こなし方は勉強になります。白シャツにストライプタイかスリムニットタイ、それにタイピンを刺す。削ぎ落とした無駄のないパワースタイルを感じる。

個性的な役の川津祐介、常にタバコを咥える。VANの広告塔でもあったので、それらしいスーツを着込む。一人だけグレンチェックスーツでめかしたりも。

アイビーカットとか、クールカットともいいましたが、このヘヤースタイルが大流行!

稲葉義雄と中条郁夫、まさに昭和のお父さんのスタイル。でもこんな律儀なスーツスタイルもなかなかですよ。

川津祐介、藤巻潤、人気スター二人のナイススタイルショット!ナロータイが決まってます。

ハニートラップのシーンから。当時、宝石入りのタイバーがモテモテでした。いわゆる光り物!最近は見かけなくなりましたが、あんな高額なモノはどこにいったのでしょうか?

まだまだ影が薄い倉石功、甘いマスク。

毎回、有名女優が登場!中村玉緒、藤村志保、野際陽子、、、

なぜか、東京パトロールの車は、全て外車!カッコよすぎですよね。フォード・タウヌスP3、オペル・レコルトC、当時のサラリーマンの願望を刺激しました。

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慶伊道彦 IVY STYLE 講座 / RALPH LAUREN インタビュー ‘76 MENS CLUB

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1976年、ローレン日本初来日でのインタヴューから〜  ——-MENS CLUB 編集長 / 西田豊穂 ——-

Q : 若い頃働いたブルックスブラザーズに対する、なにか感想は?

“ 徴兵までの半年程でしたからね、それまではブルックスのファンで買っていましたから。そもそも僕がポロを創り出したそのものは、ブルックスブラザーズが、僕にとって魅力を失ってしまったからです。僕は、トラディショナルルックの愛好者ですけれども、ブルックスは、なんていうか、年寄りのものになってしまって、若いトラディショナリスト向きではなくなってきた、僕は、ポロを僕なんかと同じ年代に合わせているんです。もっと、ロマンがあります。しかしブルックスが打ち立ててくれたトラッドルックに対する強いイメージは評価していますよ “

Q : 聞くところによりますと、最近はヨーロッパでも50年代アメリカのスタイルがハイファッションとして出ているようですが。

僕のアメリカ・ファッションの概念は、<傾向>ということではないような気がします。そうじゃなくて<階層>ということなんですね。エレガントなスタイルを保つのに流行はない。つまり例をあげればボタンダウン・シャツとツィード・スーツというところですね。世の中どこに行ってもおしゃれな人のスタイルには内容的に繋がりがあるということですね。

僕自身は流行を信じません。例えば <ヘビーデューティ>なんていうのが、人気がある理由は、やはり<自然さ>と<流行に無関係>ということであり、自然に合わせたクリーン・ライフへとつながる。これが、ぼくの服装に対する考え方そのものだと思うわけです。決して最新のファッションというものではなく、常にあるものでスタイルを作っていきます。

日本でのラルフ・ローレン・ショーでのスタイル、ネイビーブレザー、ブルー・クレリック・シャツ、ネイビーの無地タイ、ジャケットの下のボタンを留めるのがローレン流

Q : ローレンさんとデザインされたウェアのシルエットを、ひとことで表現するとどうなりましょうか。

自分としては、ニュー・トラディショナルが適当だとは思いますが。ポロをひとことでいおうとしても多くの要素があってそれはできませんが、服についていうなら、僕は大変自然な肩のラインをつくったし、広い折り返しや、衿の形をつくったのだと思います。また、純粋の生地しか使わない。純綿や純毛など。僕が一番新しいルックと考えているものの一つは、大きなホース・ブランケットのプレイド地を使ったスポーツコートですね。

日本初POLOファッションショー

西田氏談 : ローレンは、これから先も、トラディショナル・ルックから訣別することはないだろう。彼自身、シンプル・ライフの提唱者であり、ヘビーデューティ志向を真っ先に商品化している。売れるからではなく、彼の表現を借りれば、自分が好きだからそれを作った、ということなのだ。毎朝、セントラル・パークでジョギングに汗を流し、オフィスには自転車に乗り、そのオフィスでは、ブッシュ・パンツに赤紐のマウンテニアリング・シューズ!まさにヘビーデューティな格好で歩き回る。氏のスポーツ・ウェアからの影響がいかに強いかというのがわかる。

以上、記事と写真は、MENS CLUB 1976 / 12号より引用編集しました。

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慶伊道彦 IVY STYLE 講座 / Ralph Lauren Himself

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ラルフ・ローレンのインタヴュー記事から抜粋。彼が37才の年でしょうか。MENS CLUB 1976/12号の掲載で、当時No.1の NY通である浜田容子さんがお相手してらっしゃいます。以下、抜粋〜

N.Y. 55st E40 POLO FASHIONS このビルの一室がポロ・ファッションズ社

POLOの仕事部屋、当時から新しいスタイルへのビジュアル戦略が進んでいた。

商品ミーティング時のローレン

ポロ社ができて12年、ファッション界のアカデミー賞にあたるコティ賞のメンズ、レディース、両方で二度受賞!その後はコティ賞の対象とならない名誉あるホール・オブ・ファーム受賞!揺るぎない地位を獲得する。

ナローから、ワイドラペル、ワイドタイ、革命

ローレンは、自分自身のイメージ作りに若い頃から気を遣ったようだ。それは、15才の時、兄と相談して姓を”リフシッツ”から”ローレン”に変えた事からも伺える。(リフシッツから浮かぶイメージがよくなく、子供時代にいじめにあったようだ)

服装や生活スタイルには、異常な程の熱情を傾けたし、自分だけまわりと違う格好をしていても一向に気にかけなかった。19才で週給55ドルの時、ブルックスブラザーズの百ドルのスーツを着る。また、25才でネクタイ・セールスマンとして週給150ドルの時には、2百ドル以上のラペルの広い英国風なオーダーメイドスーツを着る。兎に角、スタイルには、お金の糸目を付けなかったようだ。

当時はナローラペル全盛時代、ブルックスブラザーズ信者だったローレンも、次の新しいスタイルに興味は移っていた。それがワイド・ラペル・スーツである。 == 服装には詳しい知識がありながら、着るものには気を遣わないという感じの英国ジェントルマン・タイプが好きでね、そういうイメージを作ろうとしたのですよ ==

コティ賞複数の受賞

職業遍歴 / まだ何を一生の仕事とすべきか分からなく転々と職を変えるが、22才の時、ブルックスブラザーズのセールスマンをやるが、半年で徴兵で陸軍へ。退役後、ブルックスブラザーズからダニエルヘイズの手袋のセールスへ。そして、リベッツのタイ・セールスでネクタイを売り始めた頃にようやく、タイのデザインなら、経験のない自分でもできそうだと考える。(リベッツに関しては、僕のブログ “リベッツ” で語ってます) そこらあたりから、タイのデザインをしてみようと思い始めたようだ。

当時のネクタイは、2 5/8 inc. 約6.5cm がトラッドの主流。ローレンは、自分用に特別に3 1/2 inc. 約9cmの太いタイを作っていたが、お得意先から好評だったようです。ヨーロッパで流行るモッズ調でなく、トラッド柄なのに太いタイというのが非常に新鮮だった訳です。

ネクタイの会社であるボー・ブランメル社が手を伸ばしデザイナーとして採用。但し、デザインだけでなく、生地買い付けから、得意先へのデリバリーまでローレン自身がするという条件付き。最初の一年での販売が、50万ドル!この成功が、ポロ・ファッションズ社設立の土台となる。

ローレンのファッション哲学

“一つの信念を貫いてものを作ること、よくお客を知っていること。カスタマーを知るというのは、単に道行く人の服装をよく見てるとかでなく、僕自身カスタマーのライフスタイル、ファッション観、必要な服装を身をもって知っているのです”

“ 服装がそれ程大事とも思わないが、いいものを趣味よく、カジュアルに着こなす男達。つまり、わざとらしくないソフィスティケーションを求める男達 “

“ メンズだと、手当たり次第にそこらにあるものを寄せ集めて着るが、そこに個性が表れて、様になっている。レディースだと、着れば着るほど良さの増す質の良いトラディショナルな形のもの “

ローレンにとっては毎シーズン新しいアイデアを生み出すデザイナーが必ずしも優れたデザイナーではない。 “我々は、壁にかけた絵を描く芸術家ではなく、人々が使用するマーチャンダイズを作る者だから、年ごと、シーズンごとのムードをとらえ、その瞬間に人々が欲しがるものを作らなくてはならない。いたずらに先ばしりすることがデザイナーの才能ではありません”

愛妻リッキー夫人は勿論、家族との時間を大切にする。ジョギングやサイクリング、アウトドアが大好きだ。ヘビーデューティ・スタイルが、当時のライフスタイル

アメリカファッションに寄せた貢献は?

“ファッションに新しいディメンションを与えた、つまりアメリカン・クラシックを作ったことではないかな。以前はアメリカの男は、アメリカ的ファッションか、ヨーロッパ的ファッションか、二つの選択があった。僕は、ヨーロッパの伝統的なスタイルを取り上げ、それをもっとナチュラルに、コンフォタブルに、ソフトに作り変えたのです。だから僕の作る服はとてもアメリカ的と思うのです。同時に世界の男達にも支持されたかと”

以上、MENS CLUB より引用、編集しました

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慶伊道彦 IVY STYLE 講座 / “Rivetz of Boston“ Trad Tie Maker

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“Rivetz of Boston” 70年代を代表するアメリカン・トラディショナル・タイである。まだ僕が会社設立前の1974~頃から、ニュートラのタイとして強力なライバルとなりました。(当時は、デスモント・インターナショナル社が販売契約)

時代は、オーセンティック・アイビーからニュー・トラディショナルへ。ネクタイやシャツもワイド化、その先頭を走ったのがラルフ・ローレンであり、そしてシャツはGANT、ネクタイはRivetz でした。

1921年、エイブ・リベッツは、男性用蝶ネクタイの販売会社「リベッツ・オブ・ボストン」を設立。そして短期間のうちに、ネックウェアの総合メーカーへと成長しました。やがて伝統的な英国製レップストライプ、クラブタイ、などを伝統的なメンズショップの定番にまで成長させ、マサチューセッツ州ケンブリッジにあるハーバードスクエア店を始めとして、全国の大学都市にまで販路を広げる。
また、リベッツ・オブ・ボストンは、アイビーリーグ校にアプローチし、ネックウェアに徽章を取り入れた最初のメーカーである。同社は徽章のクレストタイを作ると同時に、伝統的なレップレジメンタルタイもカレッジタイとして取り込み成功させる。
1961年から1967年にかけて、元ブルックス・ブラザーズのセールスマン、ラルフ・ローレンがボストンのリベッツの代理店として大都市ニューヨークの市場に進出、ブルックスブラザーズなど多くのメンズショップで販売した。その際に、トラッドタイのワイド化を始めたのは、有名な話である。

では、MENS CLUB 01/74 号に、”A TIE MAKER IN BOSTON” の取材ページが載っていましたので、紹介します。(協力/デスモンド・インターナショナル)

ラベルネーム/各ショップ別ネームストック

縫製工場、いわゆる家内工場。生地のストックと裁断、縫製とストックの現場。

現社長は、クリードマン氏。ワイド化していたネクタイ幅もややスリムな傾向になり、ネクタイにもニートなトラディショナル回帰の影響が出てきているとの事。この頃から、日本にも輸出し始めたと語る。

74年頃から、日本ではインポートショップがポツポツと誕生し始めました。当初はアメ横エリアから、翌年には銀座や原宿など中心街にも。現在のBEAMSやSHIPSもその中に入っています。ネクタイの ”Rivetz of Boston”、シャツの ”GANT”、パンツの “FARAH”、長らく続いたVANなど国産ブランドの時代が終わり、アメリカ発ブランドの時代が始まりました。

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慶伊道彦 IVY STYLE 映画 / “Jazz on a Summer’s Day” カップル、LADYS編

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“真夏の夜のジャズ” 続編は、女性とカップルのスタイルを観てみました。前編と合わせて、見てください。

オープニング、会場の準備シーンからしてクール!観客席が順々に埋まっていくゆったりとしたシーン!

プレイヤー、シンガー、誰もが素敵でしたが、一人となると、やはりこの方、アニタ・オディ。クールチャーミングの一言!

観客シーンNo.1は、この女性、ピンクのクルーネックセーターに微妙なカラーのシルクシフォンのスカーフを頭巻きで。脇に抱えた本もアクセサリー。

左の女性、何でもない白シャツにグリーンのスカーフ、知的な雰囲気がよく出てる。右の女性のセーラーカラー風ワンピースも、この時代のトレンドかと。

姉御肌な雰囲気がプンプン匂うこの女性、レジメンタルストライプのプルオーバーシャツが素敵。

フェスティバルにドレスアップで臨むカップル、オシャレして観たいという気分がよく表れています。二人のスタイルが絡んでないところもクール。

この映画では、食べているシーンが結構入ってます。左の女性のセーターがまた粋ですねえ〜 ハットの雰囲気ともピッタリで、きっとセンスのいい方でしょう。もう少し密着ショットが欲しかったが。

メンズ編で紹介したチェックマンのカップル、ラウンドカラーブラウスの上のボタンまでしっかりと留めるのがいい、クロッシェも素敵。

ギンガムチェックシャツのカップル、女性の方は、赤を効果的に取り入れる。

夜になっての写真、アイビーストライプのシャツは、この時代ではよく見られる。早く復活して欲しいです。

リラックススタイルの彼氏、普段着でオシャレ。やはり、アメリカ人は黒サングラスが似合う。

ボーイのレジメンタルボーダーTが憎い、将来のジェリー・マリガンか!お母さんは、シンプルなワンピースにベルトの赤がポイント。

ラウンドカラーのシャツも多く見かける、オレンジカラーのシャツ、ハンドメイド風なクロッシェ、

お父さんのシャツ、50’s流行りのアイビーストライプシャツ、

エレガントな装いで観る女性たち、誰もが素敵、後ろの男性もコットンスーツにブラックタイで決める。

夜の撮影、素敵なカップル、フェスティバルにタブカラーで決める。かたや、クルーネックセーターの女性、

このように、この映画の成功のポイントは、観客の撮影!50年代のアイビースタイルブック!男も女も子供も。映画で観ている僕らもすっかりリラックスなジャズフェスティバルの仲間入り。

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慶伊道彦 IVY STYLE 講座 / バミューダショーツ物語

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MENS CLUB 60’s ブラックロングソックス

まずは、堅い言い方になりますが、バミューダの正式な説明をWikipedia より引用します。

バミューダショーツ(Bermuda shorts)とは、膝丈前後(4-6分丈前後)でやや細めのズボンである。イギリス領バミューダ諸島で広く着用されることから、この名前が付いた。

リゾートファッションとしてのバミューダショーツは1960年代にアメリカ合衆国で流行し、1970年代にはアイビールックやサーファーファッションとともに日本などにも波及した。

バミューダ(Bermuda)は、北大西洋にある諸島でイギリスの海外領土である。イギリスの海外領土の中でも、政治的・経済的な自立度が高い。金融部門と観光産業に支えらている。

バミューダ諸島においては、公式の場(仕事やパーティなど)においても着用が許され、正装と同じ扱いになる。ただし、正装においては脛が隠れるように膝下までの長いバミューダホーズと呼ばれる靴下と組み合わせるのが必須とされている。

———-以上、WIKIPEDIA より抜粋し編集———-

オリンピック毎に、楽しみにしているバミューダ諸島のユニフォームスタイル。

LIFE誌より引用 / 60年代当時のスタイル

日本には、アイビールックとして紹介されるが、当初はバミューダの正式なスタイルからの模倣が推奨され、ハイソックスが必須だった。写真のように、ブラックニットタイに、平和堂のチャッカーブーツ、黒のハイソックスという具合に。

その後、ソックスに色物も合わせるようになり、それに伴いスタイルの幅も広がり、バミューダショーツを履くアイビー派も増える。

“MENS CLUB” より引用

70年代後半には、バミューダの解釈の幅もずいぶんと広がり、パンツを膝上でカットオフしたパンツをバミューダショーツとして学生たちは愛用しだした。そこから、アイビーでない若者もはくようになる。

80年代にはバミューダショーツは、オシャレに関係ない一般にまで広まり履かれるようになり、当然裸足にモカシンはまだしも、裸足にサンダルなんて合わせ方も。

今ではヘタをすると、昔のステテコスタイルと変わらないアイテムとなる。でも、僕は、60年代の心意気でバミューダショーツを愛したいと思う一人です。

僕の場合は、黒ソックスにチャッカーブーツ、そしてブラックニットタイがセットです。あとは、ほどほどの組み立てで何でも合わせちゃいます。

進化形というわけでもなく、3~4年前あたりから白ソックスをルーズにして合わせたりもしだしました。でもやはり、色としては、黒と白、それだけです。

ミリタリー系のカーゴパンツもバミューダショーツの進化形でしょうか。70年代は、グルカショーツもありましたが、あれよりもリラックスなシルエットで履きやすいので人気があります。

青山散歩から近ブラまで、バミューダ諸島ドレススタイルから近所のスタバスタイルまで、僕にとって夏の主役、皆さんも同じでしょうね。でもせっかくなら、ちょっとでもオシャレに合わせたいですよね。そのための第一位は白バルキーソックス、第二位は黒ニットタイ、第三位はプルオーバーシャツ、ciao!

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慶伊道彦 IVY STYLE 手引き / シャツジャケット擬にトライ

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高温湿度の日本、背広を着るにも気合がいります。出来るビジネスマンは、それでもしっかりとスーツで決めているかと。せめて、週末くらいは、ノータイでリラックスしてください。

僕の会社時代の思い出から顧みると、スタイルにこだわる男は、ウィークエンドも頑張っちゃうんですよね、これが。

そこで今シーズン、僕が意外と気に入っているルーズスタイルから。紹介してみますので、参考になればいいかと。

シャツジャケットスタイル、ではなくて、まさにシャツスタイル!僕的には、なかなかシャツジャケットまでは、揃えたくないかな〜と。なぜなら、そのコストはジャケットに注ぎたいですから。だから、最近のシャツジャケット販促には乗りたくないのです。

若い頃よく着たCPOジャケットを思い出すでしょうが、CPOは、結構ラフさが魅力、マルボローマン!昔いましたよね。あんな感じ。だから、あ〜ならないようにはしたいですよね。

それには、ドレス感覚とかエレガンス感覚をプラスすることが必要。

僕は、一昨年から少しずつ購入したシャツ、これまでのタイトフィットなシャツと違い、70年代よく買ったストレートシルエットなラインのややオーバーサイズなシャツ。それをジャケットだ!と位置付けして着ています。

ボールドストライプのシャツ、インにポロシャツを取り入れ。ライン入りのパンツも合わせ、カジュアルになりすぎない様に気をつける。シャツの中にポロシャツを着る組み立ては、80年代のプレッピーでもよくやりました。シャツは、パンツインしてましたが。

コットンパンツが一番相性がいいかと思いますが、スエットを取り入れた場合、カジュアルになりすぎない様に。秘訣は、何か一点!ドレス関連グッズをプラスすること。あと、これはストリートではないんだ、オシャレしてるんだ!と思い込んで着ること。それだけでもちょっとは変わります。

シャツの中には、下着Tシャツ以外がよいかと。カジュアル感が強くなり過ぎるので。色ものスエットとか、オシャレ感がでますし合わせが簡単です。

ストライプやチェックなど柄物シャツが使いやすいですが、無地シャツを選ぶんでしたら、白シャツがいいです。ダークなネイビーやブラウンなどもいいのですが、シャツでその色を持つことはなかなかないのでは?淡いカラーを選ぶのでしたら、白の方が組み立てが簡単。パンツにシアサッカーを持って来れば完璧!

また、セーターを肩掛けしたり、腰に巻いたり、一枚加えることで、オシャレ度が増します。チノパンもこの様にラインを入れて履けばニートな雰囲気。

勿論、シャツジャケットが有ればあったで、使い方がもっと楽でしょうが、僕のようにわざわざ買いたくないなあ〜という方のための話となりました。手持ちでオシャレ、センスアップ間違いなし!

私事になりますが、Instagram乗っ取りにあった事は、お話しましたが、一か月以上たっても、Instagramから戻していただけないので、やむなく再出発スタートとなりました。以前フォローしていただいた方もそうでない方も、宜しければフォローのほどよろしくお願い致します。もっとも、フォロー数にとらわれないで楽しませていただきますが。instagram @kay.Ivy.album

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慶伊道彦 IVY STYLE 講座 / POLO by Ralph Lauren 愛を語る

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POLO by Ralph Lauren、言わずと知れた超メジャーブランド!僕が語るまでもなく、有名な逸話がたくさんSNSには載っています。あまり同じことを連呼してもつまらないでしょう。そこで、僕の青春時代に出会ったPOLO知識を拠り所にして、まとめてみました。

まずは、時系列で追っていきますと

1967年、ボーブランメル社でネクタイデザイナーとして出発 (ブルックスブラザーズにて、ネクタイコーナー販売を担当していた) ここで、ニューラインタイを発表しトレンドセッターとして、支持される

The Beau Brummel Tie エンパイアステイトビルディングのショールームにて ”POLO” ネクタイをお披露目 1967年

“WWD / Fifty years of Ralph Lauren” @rizzolibooks 引用写真です

当時、トラディショナルタイの幅は、2.5inc. (6.5cm) が普通。それを、3.5inc. (9cm) で発表し爆発的人気に。実際、たかだか2-3cmくらいのものですが、両方のネクタイを並べてみると一目瞭然、圧倒的な迫力が。それにより大柄デザインも取り入れることが出来る様になりました。ラルフローレンは、さっそく英国貴族の好む馬蹄柄やハンティング柄を加え、トレンド入り。

当時の広告には、THE BIG KNOT とキャンペーン。左のネクタイのネームラベルは、スタート当時の貴重な ”POLO” ネームです。

“WWD Fifty years of Ralph Lauren” @rizzolibooks

イタリアのラッティ社でプリントされたシルクモチーフタイ、9~10cm のビックノットタイ、僕も初めてこの手のネクタイを見た時、デザインの発想に唖然としました。どうしてこんな素敵なネクタイが考えられるのだろうと。1971年頃の事でしょうか。

それが、僕が ”POLO” ブランドの日本導入を思い立った始まりでした。73年、幸運にもOKの連絡が来て早速 NY に飛んで行きました。交渉などはラルフの実兄の担当だったので、残念ながらラルフとは握手できませんでしたが無事締結。( 始めから分かっていたような話ですが、結局契約は2年間限定で、日本市場のマーケットリサーチ役みたいな感じの位置 ) 本番は、VAN と西武が戦い、結局当時最もブルミングデールに近いと言われた西武百貨店が落札。以後の経過は皆さんご存じの通り。

ラルフローレンはネクタイ分野からのスタートだったので、まずはNY市場と同じくネクタイ分野からスタートさせたかったのでしょうか。それが、僕 (というよりネクタイの菱屋) が契約できた理由で、それはそれでセンセーショナルな出来事だったと思いたいですが。

翌日、案内されてブルックリンにあるPOLOの商品部というか物流倉庫に。想像以上のスケールの大きさにたまげた思い出があります。こんなゴッツイ会社とできるんかいな、ウチみたいな小さな会社が?と (懐かしい思い出でした)

bloomingdale 広告 / 引用写真

1970年、ニューヨークのトレンドデパート (当時としてはNo.1の) ブルーミングデールに、インショップとして出店。初めてのフルラインの Flagshipとなりました。僕が初めてNY出張したのが72年ですが、やはりネクタイやシャツなど単品では、いくつかのショップに陳列されてましたが、フルラインで展開は、ブルーミングデールだけだった。

翌年、ワシントンD.C.に行った際、おそらく東海岸単独ブランド路面店一号だったのではないかと(フランチャイズでしたが) 凄く素敵な店ができていて感動した事を思い出します。ロスのビバリーヒルズとココからスタート

斬新なデザインのWブレザー6ボタン、太いラペル、タイ —引用写真—

1970年、デヴューしてたったの3年後、Cote award (Mens Style のアカデミー賞) 獲得!

@ralph.Lauren.style

この時のスタイルに注目!リボンタイ!70年代、僕たちも真似て大ブームに沸きました。まるでウエスタン映画に出てくるような格好でリボンタイを結んで街をウロウロしたもんです。

1972年、LACOSTE をベースにデザインされたPOLOのポロシャツが発表!( Rene Lacoste 1920’s ) 24カラー展開で、大評判となりました。ポロマークのネクタイ、ボタンダウンシャツ、そしてポロシャツ、世界中のファンがロゴに魅了されました。

では、師匠のスタイル写真から学びましょう!

デニムのウエスタンシャツ、シャツ襟をショートにしてモダンに魅せます。当時のウエスタンシャツは、シャツ襟はロングでしたが、それではちょっとオジサンスタイルゆえ。ラルフは、さらにそこにウールチェックのネクタイを結び、カントリーモチーフバーを刺します。タウンとウエスタンのミックス!シルバーバックルのウエスタンベルトも大ブームに、これもラルフローレンからの波でした。

ラルフ牧場を所有するくらいカーボーイライフが好きなラルフローレンの一押しは、この写真!古びたデニムウエスタンシャツに、ツイードジャケット。70年代調のビックラペルに下ボタン留め!大好きな写真です

このスタイルも大好き写真!ショートカラーの白ウエスタンシャツに黒のスリムニットタイ、大剣をパンツの中に入れる。このやり方は、衝撃を受けました、当時。ヘリンボーンツイードの色もいいですね、黒白のはっきりした柄。ウエスタンをミックスしたアイビースタイル。

引用写真 @ralph.Lauren.style

この時身につけている時計が、当時まだトレンド入りしてない Rolex でした。さすがにこのような高級時計は、マネできませんでしたが、好きなアイテムをミックスして、アイビースタイルに落とし込んでいくという作法を学びました。

チョークストライプスーツの着こなしも学びました。スーツで着る英国風は勿論ですが、上下バラバラにしてカジュアルアイテムを合わせるコツを。デニムシャツにチョークストライプは、相反するアイテムなのに実によくマッチする事を教えて頂きました。僕は、今でもこのスタイルや、逆にチョークをパンツに持ってきて、ツイードジャケットを合わせたりして楽しみます。

80年代を先取りした写真家 ”Bruce Weber” 彼の撮るラルフローレンコレクションは、今までとも違った魅力を引き出してくれました。プレッピー時代を乗り切れた戦略の一つに、彼の造る広告がありました。

実にモダンにかつ今日的な捉え方をした写真

さて、ブランドスタートからを振り返るとラルフローレンの凄いのは、ここにあったのではと思います。それは〜

ワイドタイから始まり必然的にビックラペル、ロングシャツカラー、そしてタック入りのややワイドなパンツ、それに合わせてシューズもロングノーズに。全てのサイズを大きくして、ゆったりエレガントにする。ここまではわかるんです。しかし、ここからがラルフローレンの真骨頂!メンズのシャネルと言われる所以。

シャツカラーをレギュラーに、さらにショートポイントにしていきます。その方が当時斬新だったからですが、そこで困るのがワイドタイの太いノット、そこで彼は、ネクタイの結び目のシェープを極端に細くしたボトルシェープを採用。そうする事で、小さなノットがピタリ!とショートカラーに収まり、なおかつ全く新しい匂いのトラディショナルスタイルを作り上げました。スモールノット!これだけのことですが、誰にも出来なかったすご技!

ボトルスタイル / 引用写真

副産物として、ノットの下にふっくらとしたシルエットも出来、ウエストのシェープラインと合わせ、エレガントなニューイングランドスタイルが出来上がった訳です。アイビーアイテムから逸脱しないで NEW TRADITIONAL を構築させたということはスゴイ技でした。

1986年、いよいよ Ralph Lauren の本丸が誕生しました。Madison av. 72st. の歴史的建造物であるマンションを丸ごとショップに。さらなる飛躍の礎となる。その後の発展経過は、皆さんご存知の通り、今では知らない人はいないというブランドとなっています。

他にも、映画 “ギャッビー” “アニーホール” の話や、”Preppy” ”Black Ivy” ”Rugby” などなど話したいことは山ほどありますが、スタート当初からの5~6年間の話だけにしました。ラルフローレンファンからお叱りを受けてないか内容は心配ですが。

——写真は引用写真です——

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慶伊道彦 IVY STYLE 講座 / 雑誌 “CrossEye” から ‘80を読む

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くろす・としゆき著 “CrossEye”1980を読み解きます。

くろす先生が、自分の趣味、考え方等を (ある意味自由奔放に) お書きになったコラム誌。アイビールックの精神を築かれた方なので、どのコラムも氏らしいと納得。メンズスタイル黎明期の右も左もぶっ飛ばせ!的な気分がよく伝わっています。

当時の人気モデル&ゴルファー / 入江勉

氏いわく、流行に振り回されるな!流行病から抜け出すと、煩わしさがなくなり清々しくなる。そこでスーツ本来の美しさは、オーソドックスで色も当たり前なグレーと気づく。プレーンなタイ、シャツ、シューズも同様。これらも身につけたあなたは、身だしなみの良い紳士という評価を受けるに違いない。私の好きな伝統的な服とは、こんな服の事。

これはまた過激なコラムである。氏いわく、メンズショップは堕落した、死んでいる。一昔前のメンズショップは、店員がスター!店員を中心とした社交場であった。しかし、お客様の多様化ニーズに合わせるという今の風潮が緊張感をなくしてしまった。主張ある厳選された商品、自信に満ちた店員たち。これがメンズショップの正しい姿だ。

氏いわく、あなたは他人の靴を履いて気持ちいいですか?靴の底には、自分の気づかぬうちに足の裏の凸凹に合わせて起伏ができているのです。だから、新しい靴を履くと馴染むまでに三ヶ月くらいはかかります。足の裏に直接当たる底皮のことを(中底)といい、地面に当たる方を(表底)と区別します。英国人は、折角馴染んで自分仕様にした中底を大切に大切に使います。ですからイギリスの靴は、グッドイヤーウエルト式製法なのです。表底だけを換えれるからです。自分にあった中底は、繰り返し修理して履き続けるための大切なパーツです。

ボンドストリートほどの派手さもなく、かといってセントジェームスストリートほどの意固地なところもない。自分から仕掛けることを嫌い、常に受け身。氏が愛でるジャーミン・ストリート。その案内レポート。20番地の(アイバン) 古臭い理髪店。男性用化粧品が良い、昔ながらのパッケージのローション、コロン、石けんなど。隣には、古めかしい帽子店(ベイツ) ツィードのハンティング・キャップやカントリーハットも充実。コーナーにある(シンプソン) にはダックスの商品ディスプレイ。食料品の(フォートナム&メイソン) 、ダンヒル、南側では、(トリッカーズ) 靴店、ここではスリッパを手に入れたい。黒ベルベットに金モール刺繍で、フォックスやイニシャルなど。(ターンブル&アッサー) 世界中の伊達男たちがオーダーするシャツ屋。ドレッシングガウンも有名。ジャーミンストリートは、シャツ屋で有名な通り。(ハービー&ハドソン) など5~6軒はある。(フォスター&サン) 最高の靴店。オーダーメイドが中心。(アストレイ) などパイプ屋も多い。ジャーミンストリートは、まさにこだわる男のための男の街といえる。(4ページにわたって書いてあるので、これはほんの紹介)

氏いわく、初めてのアメリカ!チャコールグレースーツが目立つ中に、一人だけカーキのコットンスーツの男が衝撃!初めてのコットンスーツとの出会いだった。 (コットンもよいがシワになるから)という人がいる。コットンにシワがよらなかったら、それこそ気持ち悪い。コットンはシワを着ることになるのだから。カーキのコットンは、都会の男女を、精悍で、野性味たっぷりな生き物に変える。

氏いわく、バミューダ訪問は、この島の名前を世界的にしたショートパンツ、(バミューダ・ショーツ)に出会うことだった。格調高い専門店(トリミンガム)の店員にたずねてみた。バミューダ・ショーツとハイソックスの色の組み合わせは、どうあるべきかと。(ソックスの色はジャケットの色とマッチさせるべきである。それがバミューダ式のコーディネションである)

氏いわく、そもそも一流品とは何のことか。どこの誰が、一流品、二流品の判断を下したものか。一流も二流もそれは使う人間が決めることで、うまいもの屋の採点とはわけが違う。他人の眼を意識する必要は全くない。好況、衝動買い、使い捨ての時代は完全に終わった。服に主義主張を持て。服はあなた自身のメッセージだ。何も語りかけてこない服が、世の中多すぎる。

氏いわく、卒業後 VANに入社。退社するまでの10年間、ボタンダウン作りに熱中した、といってもいいだろう。VAN, KENT, そしてGANTと手がけた。いかに本物を創るか、そればかりを考えていた。そんな時代を経て、今日のボタンダウンシャツは存在している。私にとって、ボタンダウンシャツは切り離せない存在、いわば皮膚の一部みたいなものだ。

本誌のモデルを務めるのは、ゴルファーの入江勉氏。くろす氏が監修するブランド “ダンマスターズ” の専属モデルでもある。当時、そのカッコいい大人ブリで、僕たちの憧れの的となる。

なにせ、トラッドスタイルが似合う。これは、顔やスタイルだけでなく、彼の持つオーラ(アマチュアゴルファー時代の戦績とマナーから)が素敵だから。

上記以外にも、多くのコラムが語られていましたし、取り上げたコラムの内容も部分的なので、食い足りないところもあったかと思います。くろす・としゆき氏にご興味を持たれた方は、是非この雑誌を手にとって読んでください。(なお、今回は、あえて僕の思いは入れないでアップいたしました) また、1980年の風潮や流行の基で発刊されてます事を考慮して下さい。

#Michihiko Keii #慶伊道彦 #ivy #ivystyle #menswear #アイビー

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慶伊道彦 IVY STYLE 映画 / “真夏の夜のジャズ” MENS 編

Kay こと慶伊道彦のCoffee Break

“Jazz on a Summer’s Day” 58年に開催されたニューポート・ジャズ・フェスティバルのドキュメンタリー映画。アメリカ公立フィルム登録簿に登録されている名作。アイビー好きなら、誰もが一度は観ているかと。

また、同時期にアメリカズ・カップが開催!アイビーなストーリーをさらに深めています。この頃のレースは、タイテク度も少なく、その分、シーンとしてはより美しいと感じました。

僕は梅雨シーズンがやってくる6月になると、例年となりますが、またまた観たくなり、ゴソゴソとストックからDVDを取り出す。

今回は、プレイヤーでなくフェスティバルの観客にスポットを当てて観てみました。まずは、男性スタイルから。

ここに写る全員がアイビーしてますね、手間の二人のアイビーカットに黒タイとサングラス!後ろのハーフスリーブの面々もクール!女性のスカーフの扱い方も素敵。

フェスティバルにタイをしてドレスアップ!この時代は、こういう粋なスタイルも残ってました。三人共にしっかり白チーフも刺してます。

手間のVネックのポロがカッコいい、後ろのアイビーキャップも様になっている。

コットンスーツ、レジメンタルタイ、マドラスシャツ、バミューダショーツ、ホリゾンタルポロ、、、、満載!この一枚の写真だけで、この映画の魅力を語る。

アイビーストライプのオープンシャツ、白Tシャツがのぞく、

この時代流行りのレジメンタルストライプのシャツ、ダークカラーが必須。女性の50’sサングラスやストローハットも素敵。

まさに何も考えてないようでも様になってるスタイル。脱力感がいい、夏にコーデュロイらしきジャケットも!

これぞ、バミューダショーツスタイルの基本かな、マドラスシャツとチノカラーの合わせ。

赤にキメマッチな二人、チェックのアイビーキャップが素敵!何でもないようなスタイルだが、赤、黒ショーツ、クロハイソックス、考えてますね。

チェックチェックチェックなのに、なんとも言えないバランスを感じる。チェック合わせの模範、一歩ズレればダサくなるから注意。

ボーターハットもニューポートに似合う。ストローハットの男女が多いのも、このニューポートの特徴。ハーフスリーブシャツは、50年代の定番。

この映画、成功要因の一つが、フェスティバルの観客をたっぷり映した事、監督は、偶然かそれとも狙ったのか、当時大流行したアイビースタイルを証明した歴史的資料となる。

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