とはいえ、TAKE IVYやPreppy Official Hand Book で学んだアイビー派は、必ずしもこの動きを指示した訳ではない。Black Labelと Purple Label , POLO COUNTRYはオッケーだが、POLO SPORTとなるとロゴが大き過ぎと感じた。当時の流行りのスタイルであるシティボーイ・スタイルとは路線が違い過ぎたのだ。BIGIなどDCブランドが打ち出すコンチネンタルな魅力にも影響を受け、ルーズフィットなアイビーを好む、それはその後のフレンチ・アイビーの流行に繋がった。
ニューヨーク70年代、74年公開の “The Great Gatsby” でピークを迎えたNew England Up Date Traditional Style から街並みと共に徐々にカジュアル化が進み、ネクタイを外し胸元からカラーTシャツを覗かせるのがおシャレとなってきた。ツィード・ジャケットに合わせるパンツもコットン・パンツやコーデュロイ・パンツが映えた。
76年、POLO by Ralph Lauren 全コレクション日本上陸の年。(ネクタイのみ74年から菱屋とライセンスを組んでいた) それまでは、いわゆる並行輸入スタイルでPOLO商品を仕入れ販売していたメンズショップ (それも日本の上位クラスばかり) は、大慌て。なぜならこれからのPOLOは百貨店ブランドとなるので、各地での独占権イメージがなくなるためである。急遽、POLO外しの動きが出てくるが、今まで育てた顧客への対応も重要。いい意味でもあるが日本企業はモノマネが上手くしかも早い、すぐに需要に答えてPOLOライクなアパレルが乱立する。マークポロと言うまさにポロのブランドも。なかでもエーボンハウスは、テイジンメンズショップなど有力どころを押さえニュートラッド市場のトップに躍り出て、長く指示された。
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また、この年雑誌ポパイが創刊、前年75年発売の本 ”MADE IN USA” と相まって、新しいライフスタイルを訴求する。スポーツ、アウトドア、ミリタリー、など若者発のL.A.カルチャーである。当然その流れを受けインポート・ショップが各地に増える。
‘74公開映画 ”The Great Gatsby” の衣裳担当をした事が更なるイメージを作る。曰くロングアイランドに邸宅を持つアイビー校卒業生というアメリカン・ドリームの象徴を確立、ブランド・イメージとした。ラルフ・ローレンの初期の傑作であるホワイト・リネン・スーツ、ホワイト・フランネル・パンツ、オックスフォード・シューズ、ホワイト・クレリック・シャツ、ホワイト・フラノ・ハット、とホワイト・カラーの世界が観客に夢を与えた。
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アイビー校スタイルのルールを一点のミスもなく着るアイビー・スタイルを学んだ日本の若者も70年前後に次のスタイルを模索しだす。コンポラ、コンチ、モッズ等、その当時の流行りを学ぶがやはりアイビーを知った若者には今一つモノ足らなかった。そしてN.Y.出張のアイビー先駆者たちがラルフ・ローレン・スタイルのニュースを持ち帰ると、ジワジワとそして一気にコアなファンに指示される。当初は、テイジン・メンズショップ や尼崎ナカガワなど特定のメンズショップの顧客たちから広まり、その後、日本はオーセンティック・アイビー派対ニュートラッド派の二つが併存して進む事になる。そんな時のニュートラッド一色となった事件が “The Great Gatsby” 映画の公開であった。74年は、アメリカだけでなく日本でも新しいトラディショナルが支持された年となったのだ。
ラルフ・ローレンは、若い時期からウエスタン映画、なかでもジョン・ウェインやゲーリー・クーパーのスタイルが好きだったようで、New Traditional Styleが一段落した70年代後半、ウエスタン・スタイルとトラディショナル・スタイルの融合したラインを打ち出すと、ニュートラディショナルを初めて打ち出した時と同様なビック・ウェーブが起きたのだ。