慶伊道彦 IVY STYLE 映画 / “恋 / The Go-Between” にブレザーの歴史を探る

Kay こと慶伊道彦のCoffee Break

邦題は”恋” ‘71 主演のジュリー・クリスティはアラン・ベイツとは ”遥か群衆を離れて” ‘67 でも似たようなシュチュエーションで共演、ただこの映画 “恋” は、監督ジョゼフ・ロージーの見事な手腕で素晴らしい恋愛映画に仕上がっています。

物語は、1900年代初め、上流階級と労働者階級がはっきりと分かれていた時代、ブレイザーを着てクリケットを観戦するシーンがありますが、このあたりの時代からブレイザーを着るようになったのかと。ブレザーの考察をする意味でも、価値ある映画です。(ブレイザーの起源説については、別のブログで語っています)

当時、上流階級の男性はストライプ柄のフラノ・コートを着用してクリケット観戦に臨む。おそらくこれが、ブレイザーの原点かと。

ブレイザーの当初は、一枚布を貼り合わせた後に袖付けをしただけのものでした。そのためポケットもパッチポケット、襟や裾のリボンも、当初は形を整えるためだったのでは?それからトリミング装飾の意味合いを加えて進化。写真からもわかるように、背中の縫目がないのからも、それは分かると思います。

ブレイザーの起源は、黒地にイエローのストライプから始まったようだ。

上流階級チームは、タイをしてプレイ(必ずしもではないですが) 右の方は今で言う審判にあたるんでしょうか?白衣のユニフォームの形が面白いです。

クリケットのユニフォームが白というのがまず素晴らしい!オリンピック競技にならなかったからでしょうか (一度あるらしいが) 日本の柔道もそうだったならユニフォームはまっ白のままであったでしょうね。

町のチームは、腕まくりをしてベストを着たりしてプレーします。上流階級側は、長袖シャツをロールしないできちんと着ますしネクタイ着用もありです。同じ白いユニフォームでも、そこで区別できます。チーム差別のためのカラーを変えたのでは、絵にならないですね。

この通り、レディ達は、優雅な衣装で観戦する。ハットは当時絶対に必要なアクセサリー。

逆に町の人達は、普段着に少しオシャレをしてタイを締めたりして観戦、年に一度の?お祭りみたいなものだから、この時だけは、上下の分けもなく楽しむ。ちょっと上の人は、フェドラハットにネクタイ、一般にはハンチングなどのキャップを被る。

プレー終了後、両チームが一緒になり食事会、上流階級側は、ブレイザーを着用するが、労働者側は、ベストのままで。

ストライプにも日本の家紋のような意味合いがあるのかも。

いわゆる日本で言うところの宴会ですね。夜、村人達と一緒になっての食事会。クリケット大会がお祭りの一環であることがわかる。

リネンのジャケット、ストローハット、当時の上流階級の男たちの装い。襟付き上着つまりスーツをオーダー出来るようになると大人の仲間入り。日本の元服式みたいなもの?

やはり、当時のイングランドの紳士スーツの柄はストライプ、(タータンチェックは、ハイランダー地方の古典柄なので)

農夫の鉄板スタイル、バントカラー・シャツにベスト、コーデュロイが用いられる事が多いが、やはり保温性が高いのと軽いので労働に適しているからでしょうか。貴族階級がコーデュロイを着るシーンは、まず観たことがないで。

僕は、メンズスタイルのみ気になるので紹介も男子のみでしたが、この映画の主演はジュリー・クリスティ、”ドクトル・ジバゴ” でも強くて優しい女性を演じて、大好きな女優です。まだ観てない方は勿論、以前観られた方も是非!

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慶伊道彦 IVY STYLE 映画 / NHK BS 世界サブカルチャー史 “欲望の系譜”

Kay こと慶伊道彦のCoffee Break

昨年から、珍しく二度観したテレビの特集番組。NHK BS “サブカルチャー史/欲望の系譜” 実に楽しく勉強させてくれる番組、何せ好きな映画とサブカルチャーを組み合わせしているところにハマりました。

番組は、50’s ~ 90’s 年代別に さらに2000~2010 も加えて6回にわたり編集されていました。

そして今回、番組が本になったので、早速買ってみました。本では、70’s ~ 90’s を取り上げています。

そこで僕の今回のテーマは、この番組から触発された60’s の映画をもとにサブカルチャーに迫ってみたいと考えました。60’s 、大まか僕の十代、中学生から大学生時代に当たります。何せ学問の知識がないミーハー男なので、相当に適当な解説になりますが、その青春時代を好きなスタイルの側面から読み解きたいと思います。

まずは、本の解説から取り上げていきます。丸山俊一氏とNHK制作班のまとめた番組です。

“時代のルールは密かに書き換えられていく”

この言葉は、すでに先行している企画[欲望の資本主義] で初回放送時にナレーションした言葉だが、経済現象のみならず、社会、文化、ある時代の人々の心の形は時代によって作られ、またその心の底にある想いが次の時代を創っていく。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜そうした不思議な、ある時代ある社会に形成されるエネルギーをサブカルチャーと、ひとまず呼んでみた。こうした精神から、[世界サブカルチャー史]は立ち上がっている。もちろん、映画、ポップス、流行など様々なポップなアイコンもその中には含まれているが、同時に、メインから零れ落ちる、名づけ難い何ものか、としか言いようのない、時代の潮流の中にある.淀みを掬い取ろうという試みなのだ。〜〜〜〜〜〜〜

以上、[欲望の系譜] より抜粋しました。

学問的な位置付けはこのくらいにして、年代順に映画を中心にして追いかけてみたいと思います。

60年 / ベンハー、アラモ、スパルタカス、など保守派の大作が目白押しの年ですが、”アパートの鍵貸します” この映画で、ジャック・レモンのアイビースタイルとサラリーマンのニューヨーク生活を堪能。また、なんと言っても、ヒッチコックの ”サイコ” アンソニー・パーキンスの勇気ある演技がカッコ良かったです。コットンジャケットの襟を立て、ボタンダウンシャツの袖を少しだけロール。僕にとってのアイビー文化の始まりでした。

‘60 サイコ

ジャネット・リー / 可哀想にシャワーシーンが有名ですが、この本では、カーライフの始まりと捉えています。彼女を取り巻く車との接点とそこからの事件、アメリカでカーライフが大衆的になっていく時代の始まりが、よく表れていると。

ドライブインスルー、ドライブシアター、車社会の到来から出てきた。

‘61 ケネディ大統領

ニクソン対ケネディの大統領選挙で初めてオープンカーによるデモンストレーションが行われました。ニクソンはフォード、ケネディはキャデラック。

60年代初頭は、テレビが大衆化した時代。それにいち早く対応したケネディの戦略は有名な話。

ケネディ人気は大ブレークし、至る所でケネディのバッチや関連グッズが売られる。

ジャッキー人気もすざましく、ヘアースタイルのマネや、何と!胸像まで売られた。

‘63 キング牧師

60年代を代表する二人、一人はキング牧師。もう一人はボブ・デュラン。非暴力抵抗運動を進めたキング牧師、ワシントン大行進のスピーチがあまりにも有名。

” I have a Dream” 大行進には、ボブ・デュランは勿論、他にもジョーン・バエズ、ハリー・ベラフォンテ、マーロン・ブランド、ポール・ニューマンなどが参加、意外だったのはチャールトン・ヘストン、銃規制反対運動のリーダーだったので、右派だとばかり思っていたのだが、長らく公民権運動に力を注いだようだ。

ボブ・デュラン

60年代デヴューからのアルバム写真から〜

‘62 アラバマ物語

60年代は、黒人差別反対運動が活発になります。それを反映した映画、一人で闘う弁護士役、グレゴリー・ペック、暑い南部が舞台なのでコードレーンのサマースーツを見事に着こなす。

‘61 ティファニーで朝食を

物語は、田舎を飛び出しニューヨークで華やかな生活を夢見る女性、しかも彼女は十代の時、強制的に結婚させられたという。カポーティの小説では、田舎と都会の格差、貧乏や悲しさをテーマにしている。60年代、都会へ都会へと人が動く。これは、アメリカに限らず日本でもそうでした。僕も田舎から上野駅に降り立った一人ですから、その心情はよく理解できます。

オードリー・ヘップバーンのジパンシーの衣装が有名ですが、僕らアイビー派は、共演のジョージ・ペパードに注目。彼のアイビースタイルに関しては、僕のBlog. とYouTube で詳しくお話ししていますので、よかったら参照してください。

二人でティファニーに向かい5番街を散歩するシーンが圧巻ですね、ジョージ・ペパードは、ネイビーブレザー、裏が真っ赤、紺赤のレジメンタルタイを合わせ。

ヘリンボーンジャケット、グレーコーディネート、カーディガンをインしている所をまねたい。

‘61 ウエストサイド物語

69年代前半は、大人と若者の確執の始まりと言われてます。戦後のベビーブーマー世代、日本では団塊世代と言われてます、彼らが青年になるに従って、50年代の親子のハピー関係が崩れてくる。

もう一つの問題は、多くの移民が入国する事で人種的な緊張が高まって来たこと。ニューヨーク低所得者エリアにたむろするポーランド系白人対プエルトリコ人の不良たちの闘いの物語。これは50年代には映画にならなかったテーマでした。

ジョージ・チャキリスの華麗なダンスとナタリー・ウッドの可憐な笑顔が印象に残ってます。

‘64 博士の異常な愛情

63年、ケネディ大統領が暗殺、ジョンソンが大統領に就任。泥沼のベトナム戦争に突入します。米ソ冷戦時代にもあたり、人々は核戦争の恐怖を身のあたりにするようになります。映画は、精神に異常をきたした司令官が核のボタンを押してしまい、米ソの最高責任者がバタバタするブラックコメディです。核への警鐘がテーマ!

‘65 サウンドオブミュージック

ナチスの侵略に反対するオーストリアの愛国者が、家族を連れてスイスの山越えをするミュージカル。当時、ベトナム戦争反対の気運が高まっている時なので大ヒットしました。今年、ロシアに追い立てられるウクライナの人々を想います。

‘65 ビートルズ / 初ニューヨーク公演

ジョン・レノンのつくる”HELP”が大ヒット、それを引っ提げての米国上陸。コンサートは、50万人を動員。この二週間後には、カシアス・クレイがヘビー級世界チャンピオンとなる。

‘67 カシアス・クレイ / 兵役拒否

判決は、禁錮5年!資格剥奪!しかしここから彼の反撃が始まる。カウンターカルチャーの英雄となり、ベトナム反戦運動が全米でスタートする。

‘67 俺たちに明日はない

アメリカン・ニューシネマの始まり。この物語は、反戦運動ではなく、富んでいる者を叩くという文化的反撥映画だが、背景にはベトナム戦争反対派の心情もうかがえる。

同年、シドニー・ポアチエ主演の”夜の大捜査線” そして “招かれざる客” 公開。アイビースタイルにキチッと身を包む姿に心をうたれる。

60年代後半は失望の時代、夢がなかなか叶わない若者の失望

‘68 卒業

ジェネレーションギャップという言葉が生まれる。大人の分別、教会の権威、こういったものを冒瀆するのは、アイビー校卒の物欲もある普通の男、それがカウンターへの道を進む。大人に理解できない永遠のテーマ。

アイビー派としては、ダスティ・ホフマンの着る、コードレーン・コットンジャケットやカーキーグリーンのコットンスエードジャケットが嬉しい。

サイモン&ガーファンクル / ミセス・ロビンソン

‘68 猿の惑星

見知らぬ惑星だったが、そこは地球、自由の女神!核戦争の恐ろしさをエンディングが伝える。

‘69 真夜中のカーボーイ

夢を求めて行った大都会、そこに敗れた弱者の二人、薬物、障害、男の売春、ダークサイドにテーマを当てた映画。夢が叶わない時代

‘69 ウッドストック・フェスティバル

三日間で40万人動員、愛と反戦のロックコンサート。

番組では取り上げられてない映画だが、アイビー派にとっては欠かせない60’sスター

スティーブ・マックイーン

大脱走 / カットオフされた半袖スエットシャツ、スリムなチノパン、チペワブーツ、フライトジャケット、

ブリット / ツィードジャケットにタートルネックセーター、ガンホルダー、カーチェイス、

他にも、華麗なる賭け、マンハッタン物語、シンシナティキッド、ネバダスミス、、、

‘69 イージーライダー

アメリカン・ニューシネマの代表作!番組では、この映画の空気感を70年代の始まりのと捉えています。若者の反動と大人のモラルパニック ”アメリカ憂鬱の70年代” の始まりと。

60年代は闘争と失望の時代、メインからこぼれ落ち何かポツンと〜〜サブカルチャーは社会の空気の中、漂う。今日の全てのアメリカの問題発祥の時代、しかし、解放への時代でもある ===“欲望の系譜”より===

皆さん、もう一度これらの映画を観たくなったのでしたら、僕としては嬉しいです。また70年代以後の映画は、この本にたっぷりと紹介されてますので。願わくば、NHK/BS放送再度再再度放映される事を期待しています。よい番組をありがとうございました。

写真は、番組と映画から撮り引用しました。

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慶伊道彦 IVY STYLE 講座 / マテリアル小話その2

Kay こと慶伊道彦のCoffee Break

⭐︎9 よりの続き話

MENS CLUB より引用

⭐︎10 レジメンタル・ストライプ / 毛並みの良さを象徴する小道具のひとつ

黒い黒紐で吊った縁なしの片眼鏡、ブラシでかきあげた薄くなりかけているくすんた薄茶の髪、手入れのいいダブルの紺のた背広に糊のきいた白いカラー、出身連隊の配色を使ったネクタイ —- すっかり揃っている ————————[黄金の銃をもつ男] イアン・フレミング

⭐︎11 ソックスのマテリアル / シルク、ウール、コットン

白いソックスは、白のフランネル・トラウザーズの時だけに許されるものです。マテリアルはウールかコットン、それ以外はダメです。——-[エティケット] エミリー・ポスト1940年版

靴下はチャコールグレーの絹。靴は磨き立てたマホガニーのような古い型で、真珠の飾りボタンがついていた。—————————————[ゴールド・フィンガー] イアン・フレミング

⭐︎12 ヘリンボーン / 魚の骨、杉綾模様、

淡黄色のウールの靴下、チャコールグレイのズボン、ボタンダウンのカラーシャツ、ノー・ネクタイ、それからイェールかハーヴァードかプリンストンあたりの人気のある大学院の研究科で、適当に時代がついたかに見える、矢はず模様(ヘリンボーン)の上着を着ていた—————-[テディ] J.D.サリンジャー

⭐︎13 ハウンド・ツース / ドック・ツース同じ柄をいう

ボンドは靴下をかえると、傷だらけの古い鋲打ちサクソン靴をはいた。黄ばみかけた黒白ハウンド・トゥース・チェックの上衣を脱ぐと、色あせた黒ジャンパーを着る。————————[ゴールド・フィンガー] イアン・フレミング

⭐︎14 グレン・チェック / タータン・プレイドの一種

ウィンザー公格子、プリンス・オブ・ウェールス格子、グレン・プレイド、この柄を好んだウィンザー公に因んだ呼び方である。

正しくは、<グレン・アークハート・プレイド>で、キャロライン伯爵夫人がスコットランド、アークハート谷で織らせたものだという。

⭐︎15 ガンクラブ / これもまたタータンから出た伝統柄

1874年にアメリカン・ガン・クラブが、そのユニフォームの柄として採用したところからこの名前がある。オリジナルそのものは、タータン・プレイドから出ている。

⭐︎16 タッタソール / 馬から産まれた柄

ロンドンのナイトブリッジ・グリーンにタッタソールという地名があって、ここは有名な馬市場があることで知られている。ここに集まる連中がとういうわけか乗馬服の下に着るベストの柄に、タッタソールを好んだのだ —————-というエピソードがある。

MENS CLUB 写真

出石尚三氏のMENS CLUBレポートより、抜き出しした文です。氏曰く、全ての服装がスタイルとマテリアルのふたつの大きな要素から成り立っているように、トラディショナル・モデルもまたスタイルという名の美術館と、マテリアルという名の博物館から構成されているように思われる。

60年代、これだけの博識を持ってモード・スタイルに対峙していたと言うことは実に恐ろしくもあり驚きもあり。氏のスタイル評論に対して敬意をはらいます。————————————記述はMENS CLUB / 出石尚三 “マテリアル” より引用しました。

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慶伊道彦 IVY STYLE 講座 / 面白いトラッド・マテリアルの話

Kay こと慶伊道彦のCoffee Break

出石尚三氏がMENS CLUBで語る中で、マテリアルについてこんな記述があります。有名な小説から引き出された名文の数々。

* トラディショナル・モデルをズバリひと言で表現するにはなんと言うのか思いつかないが、少なくともマテリアルについてなら、[物語りを秘めた古典素材] と決めつけて、ほぼ間違ってはいないだろう *

⭐︎ ウーステッド / アメリカ人の代名詞

古びたグレーのウーステッドの服を着るのが好きで、おまけに上着のポケットに拳を突っ込むくせがあるので、いつも上着がふくらんでいて、長そうに見えた ———- [死者はよみがえる] ディクスン・カー

前日の午後、連邦捜査局の連中の手で、彼はかなりアメリカ風にされてしまった。洋服屋が来て寸法をとり、濃紺の軽いウーステッドでシングルの背広を二着作ることにした。それよりも派手なのは、ボンドも頑固に断ったのである。—————————————[死ぬのは奴らだ] イアン・フレミング

⭐︎⭐︎ フランネル / グレーフランネルといえば、典型的なビジネスマンを指すまでに一般化したマテリアル

<まるで日曜日みたいにオシャレしてんのね> 事実、彼はダンスのクラスのために買ってもらった、白いフランネルの一張羅を着ていた ————————————[遠い声、遠い部屋] トルーマン・カポーティ

⭐︎⭐︎⭐︎ ギャバジンとサージ / ウール・ギャバジンの綾目が65度ほどの急角度で走っているに対して、サージのそれはほぼ45度という違いであり

モントリオールはウィンザー駅のプラットフォームに降り立った日曜日、わたしはひどく誇りにしているベージュ色ギャバジンのダブルの上下、濃紺のフランネルシャツ、綿織りの濃い黄のネクタイ、わたしには小さめのボビーのパナマ帽を身につけ、三週間ほどの赤茶けた口ヒゲをはやしていた ————————————[ド・ドミエ・スミスの青の時代] J.D.サリンジャー

10分後、厚手の白い絹シャツに海軍サージの濃紺ズボン、濃紺の靴下をよく磨いてある黒のモカシン靴といういでたちで、ボンドは片手にカード、目の前にスカルメのすばらしいいかさま指南書をひらいて ————— [ムーンレイカー] イアン・フレミング

⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎ ツィード / カントリースーツなどにはなにをおいても欠くことができない

ボンドの古い黒白チェックのツィードの背広と、白いシャツ、黒いネクタイを見まわして <衣類ですな> と——————— [007号の冒険] イアン・フレミング

⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎ シェットランド・ツィード / スコットランドの北にあるシェットランド諸島に住むシェットランド種羊から織られる

茶色のシェットランドの半ズボンに、白いワイシャツに縞のネクタイ、そのうえに濃紺のジャージを身につけていた ————————————————————- [エズメのために—愛と汚れ] J.D.サリンジャー

⭐︎6 キャメル・ヘアー / キャメルのポロコート、これほどトラッドなコートはちょっと他には見当たらない

<いいコートですね> 椅子から既に立ち上がって彼はいった。彼は部屋を横切ってジニーのポロ・コートの折り返しを指でつまんだ。<きれいですね。戦後はじめてお目にかかった本当に上物のラクダですよ。どこで手に入れたんですか?> <母がナッソーから買ってきたんです> <あそこは、まったく上物のラクダが手に入る数少ない場所のひとつですよ> —————————— [エスキモーと戦う前に] J.D. サリンジャー

⭐︎7 コーデュロイとダンガリー / コーデュロイ、実はフランス生まれ

彼はコーデュロイのズボンをはいて、安煙草をふかしていた。そして彼よりずっと背丈が高くて感じのいい若い女が一人、一緒にいて、これも同じ布地のズボンをはき、同じ煙草をふかしていた——————————— [情事の終わり] グレアム・グリーン

着ていたダンガリーのバント通しに両手の親指を突き立てた。靴も農夫のはく長靴で、厚地のセーターの胸には<コカコーラを飲もう>の広告文句が薄く消えかかっている———————————————————-—[遠い声 遠い部屋] トルーマン・カポーティ

⭐︎8 オックスフォード・シャーティング

ケネディ時代、ボビーだけはアイビースタイルを固執して、兄から皮肉たっぷりに軽蔑されたものだ。<ボビーは少しも分かっちゃいない人だ>

大統領は自分のシャツの襟をさすってから、こうつけ加えた。<ボタンダウンの襟はあまりにアイビー・リーグ的で学生くさい。きみが着ている他のシャツは、襟が長すぎる。こいつを見たまえ。なんなら、ニューヨークのシャツの仕立屋に私から君のやつを注文しておこうか?> ——————————————————-——[ケネディ] ポール・B・フェイ

⭐︎9 インディア・マドラス/ 最初は水兵の頭に巻く生地

優雅な、女性のように白い顎は、シャツの低い襟と、印度マドラス織りで作られた碁盤縞の細い襟飾(ネクタイ)から、解き放たれたようにくっきりと現れていた。———— [悪の華 序文] ティオフィル・ゴオティエ

⭐︎10 以後の続きは次回に掲載します

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慶伊道彦 IVY STYLE 映画 / “ブリット” McQueen

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マックィーンStyleのいわば代表作 “BULLITT” 車ファン、ガンマニア、世界の多くのマックィーンファンが何度も観る映画。マニアほどではない僕ですら数回観ているくらいですから。

DVD を借りたのですが、ラッキーな事に、付録でピーターイェーツ監督が監修したロケフィルムが付いていました。

撮影現場でのマックィーンのスタイルが観れてよかったです。いつでもカッコいいという事がよく分かります。

映画で着ていた、ショールカラーカーディガン。これを真似てショールカラーにはまる輩も続出。

パーソル0714サングラス、これもマネ続出!

この撮影準備中のキルティングダウンジャケットがすてきですね。60年代当時は、まだ着る人は少なかったのでは。バイク好きなマックィーンっぽいジャケットです。

首周りのリブ、アップに耐える男!

打ち合わせ中のマックィーン、ベージュのタートルネックセーター。何を着ていても、欲しくなる。

フォードマスタングGT390ブリット

ダッチ・チャージャーとの、サンフランシスコ坂道でのカーアクション!ここから、このスタイルを取り入れたカーアクションが流行り出す。マックィーンは、このカーチェイスのために、スタントマンとの特訓を。

空港シーン、離陸態勢の飛行機の下に。轟音だし本人も怖かったと言っていた。この表情も当然と言えば当然。スタントマンを滅多に使わない俳優。

さて映画からもチェック。撮影監督は、ウィリアム・A・フレーカー。”1941” や “ミスターグッドバーを探して” などでアカデミー賞候補。この映画では、カメラアングルがいいですねえ〜 下から撮ったりガラス窓の反射を上手く使ったり。映像粒子の粗さを利用したり。

ステンカラーコート(バルカラーコート) で、登場!

“ナポレオンソロ” のロバート・ヴォーン、彼らしいコンポラスーツスタイルで。当時の若者は、アイビー卒業の後、コンポラを着る。特徴は、ナローラペル、ローボタン、浅いサイドベント、など。ウエストの絞りをほとんど入れないところが、欧州コンチとの違い。

普通のサラリーマンコートも、彼にかかるとスタイリッシュに。襟の立て方がまた優れもの。

“マンハッタン物語” でも観ましたが、マックィーンは、右手にウォッチをする。

相手役、ジャックリーン・ヴィセット、マックィーンは彼女の様な端正な女優が好き。大事な役どころではないですが、彼のこだわる好みとか趣味とかわかりやすい。また、このコートの肩掛け!キチンと折りたたんでかけてますが、これもスタイルに対するこだわりか。

はっきりとは映らないですが、履いてる靴、マッドガードタイプのデザートブーツ。立ってる姿勢も素敵!

映画の有名アイコン写真、Talor St.とClay St.の交差点。タートル、ツィードジャケット、バルカラーコート、こんなに平凡な品々からも彼のスタイルを作り出す。姿勢とか歩き方、表情など全てがそのために。

ヘリンボーンツィードジャケット、このジャケット、サイドベントだという事が分かるシーン。

フォード・マスタング、その昔、日本では “ムスタング” と呼ばれてました。僕ら戦後まもない世代は、ムスタングからイメージしてしまいます。

このヒットマンがいいんですねえ〜 えてして殺し屋は、このように普通な渋いスタイルをすると、むしろ不気味さが増すから、不思議。

隣のドライバー役のクール過ぎるセルロイド顔も相まって、マックィーンとの見事なカーチェイスシーン。延々8分間も続く。大変な撮影だったのではないかと考える。今の様なCGなどの細工もないので。

タクシードライバー役で、”ゴッドファーザー” 顧問役でブレークしたロバート・デュヴァルが登場。

ショルダーホルスターは、サファリランド革会社(Safariland leather company)から販売された、クリップスプリンガーショルダーホルスターささ(Klipspringer Shoulder holster)として知られている。*引用文章*

カッコよさは、何もトレンドとかリッチブランドとかで身を包むんではなく、表情、仕草なり身体で表すものだと言うことを、この映画は教えてくれる。だから、何度観ても飽きないのです。是非!

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慶伊道彦 IVY STYLE 手引き / WEB雑誌 “OPENERS” 記事より

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今は休止になっていますが、WEBマガジン “OPENERS” 2015/06/22 インタヴュー記事より抜粋し再編集してみました。以下、抜粋〜

*引用写真*

「男目線の服装が好き」と語る慶伊さん

――慶伊さんがオリジナルにこだわる理由はなんですか?

本当は既製服の方がコストパフォーマンスの面でもいいんです。でも、サイズと感覚でズレがある。

感覚的にもいまの服はぼくにとってはモダンすぎます。ファッションすぎて嫌なんですね。

これは感覚的な表現になるかもしれないけれど、デザインが女性目線なんです。

――媚が見えるんですね。

そう。あるときはイタリアすぎて、そしてあるときはイギリスすぎる。

ぼくは男目線の服装が好きです。それはつまり普遍のスタイル。1950年代、60年代の松竹や東宝映画に登場する俳優たちの格好ですね。男から見て、カッコいいと思える服装です。

――そうしたこだわりは、慶伊さんがフェアファクスを立ちあげられたキッカケにもつながるのですか?

そうですね。ぼくはそういうシーンをずっと追いかけてきた気がします。

はい、ぼくがネクタイを着用するようになったのが18歳ぐらい。IVYルックが注目されはじめた1967年ごろの話です。当時のIVY少年は、みんなネクタイを締めていたんですね。それは少年が、大人の男になるための通過儀礼でもありました。

ぼくがはじめて手に入れたのは、「菱屋」といういまは無き老舗ネクタイ屋の黒のニットタイとポプリン織りのレジメンタルタイ。ポプリンとは平織りのスタンダードな織り方です。その「菱屋」に、ぼくはやがて勤めることになる。当時は学生運動が激しく、就職するにも厳しい時代。ですからまずは丁稚奉公(でっちぼうこう)をしたんです。

当時のネクタイ屋とは、いまで言えばスニーカーショップみたいなものです。そこでぼくは、自分ではじめて購入したネクタイと同じものを、今度はお客様にお勧めして、大ヒットを飛ばしました。

振り返ると、それが自分の原点だった。

――日本で初めてポロ・ラルフローレンと契約したのが菱屋。その時の契約締結を導いた担当者が慶伊さんだったとお聞きしています。

*引用写真*

ええ。1971年にNYとワシントンに出張に行き、ポロ・ラルフローレンというブランドを初めて知りました。このブランドは、その時、すでにアメリカで大ヒットしていましたが、日本ではまだ存在が知られていなかったんですね。IVYしか知らなかった自分も、ラルフローレンの“ニュートラッド”の世界に、ある種のカルチャーショックを受けました。

それから2年後、ネクタイのみの短期間契約ではありますが、ポロ・ラルフローレンブランドの日本での販売契約を結びます。ラルフローレンは、ネクタイブランドとしてスタートしましたから、彼自身、ネクタイに並々ならぬ思い入れがあって。きっと老舗ネクタイ屋ならいいだろうと思ってくれたのでしょう。

これは自慢話になってしまいますけど、ラルフローレンの当時のオフィスとデリバリーハウスを知っているのは、日本ではおそらくぼくだけですよ。

――そのビッグブロジェクトを成功させた後、1976年に「菱屋」を退職。そして、会社を設立なさったんですね。

はい。その通りです。

小さくてもラグジュアリーでありたい

――社名のフェアファクスは、アメリカのワシントンにあったホテルの名前から取られたんですね?

そう。はじめは「Ryu Fashion(リューファッション)」としていたんですけど、これじゃダメだと。独立から3年後の1980年、その年の『GQ』8月号に掲載されていたホテルの記事を見て、すぐに社名変更したんです(笑)。

社名は雑誌『GQ』で偶然見つけた、アメリカのワシントンにあったホテルの名前に由来する

*引用写真*

――いわゆるスモールラグジュアリーホテルですか?

ええ。ホテルの雰囲気を掴むために、幾度となく足を運びました。当時はまだワシントンに行く人もそれほどいなかったから、とても貴重な体験です。

アメリカで大人の世界を知ろうと思うと、クラス社会に行き着くんです。ワシントンにはホワイトハウスがあり、クラス社会が残っていました。そうした雰囲気は、ホテルで掴むのが手っ取り早い。とりわけホテルのバーは、大人の入り口なわけです。”FAIRFAX BAR”

小さくてもラグジュアリーでありたい。それが社名に込めた思いです。

当時の FAIRFAX HOTEL にて

――精神性の高みを目指す、その意気込みが伝わってくるようですね。

ぼくには「座右の銘」なんてカッコいいものはありません。あるのは“身の丈”と“やせ我慢”。マスマーケットには行かない。アパレルにはならない。極めて自分の身の丈にあったところで、やせ我慢をして、スピリットをコアにする。そういう感覚が自分のやり方なんです。

――ところで、慶伊さんにとってのアメリカの良さってなんですか?

ひと言で表現するならスタンダード。奇をてらっていないという面では、イギリスやイタリアとは少し違うと思いますね。彼らは貴族社会からの慣習を残しているでしょう。アメリカの場合は、それを完全に一般化している。そこが好きですね。

――大量生産のなかで、ハイクオリティを狙っていく。大衆のための高品質……。

そういうことですね。その方が、より削ぎ落とされた洗練さが表れているような気がして、ぼくは好きなんです。いろんな好みはあるとは思いますが、ぼくの場合は、少しチープな方が性に合っているんでしょう。

* 以上、雑誌 “OPENERS” インタヴュー記事より抜粋致しました *

追記) つまりは、僕のスタイル原点は、既製服全盛期の50~60年代のアメリカン・トラディショナルが、ベース。そこに、80’s のヴィンテージ感覚をミックスさせるスタイル。

ですから、本来はレディメイドの方がカッコいいはずなのですが、何故か、アパレルメーカー側も、妙にトレンド意識の強いクラシコスタイルなどを作る。だから、欲しいものがマーケットにないので、オーダーとなる次第。ヴィンテージショップには、わんさかありますので、その辺りが最近 Vintage Shop の攻勢が強まっているゆえんかもしれません。

ここは、アパレル関係者さん!50~60年代のストックや雑誌、映画、Jazz、などからもう一度勉強をやり直したらいかがでしょうか。

*引用写真*

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慶伊道彦 IVY STYLE 手引き / バンカラ・アイビーって何?

Kay こと慶伊道彦のCoffee Break

野暮ったさこそトラッドの魅力

アメリカのウェアは、働くためのウェア、ヨーロッパの服にはシックがあるが、アメリカの服は、機能本位でむしろ野暮ったいものです。ヘビーデューティにも共通する。ネルシャツの衿元から白いアンダーシャツが見えるっていうのが、とても野暮でいい感じ。ウエスタン・スタイルなども野暮ったさの典型。

ラルフローレンも語っています。” 男達は、そこらにあるモノを構わず重ね着組み合わせして着る、しかしそれが実に様になる!これが求めるスタイル “

以上、MENS CLUB より引用写真です

アイビー・リーグは、そもそもが清教徒の移民達が、子ども達の未来のために東海岸につくった大学。当然、プロテスタントの教義である、質実剛健たる精神教育が行われた。また、全寮制による厳しい規則の反動がバンカラにも繋がったかと。そして質素を重んじる事からきたディテールも多い。しっかりたたかれたステッチは、洗濯で破れないためであり、エルボーパッチは肘の補強でありと、全てのディテールには、生活の知恵から出ている。

<MENS CLUB / くろす・としゆきコラムより写真引用>

日本でも、明治維新前後の若者たちはバンカラを愛したが、これもエリート気質の一端か。旧制高校の寮生活のユニークさはまさにバンカラ愛。もっとも我ら貧乏人は、いっぱいいっぱいの生活で、リアルバンカラ。それゆえ一張羅という逆言葉のスタイル用語ができるが、これは余談である。

==小林泰彦氏が、MENS CLUBに寄稿した絵と文== なかなか含蓄に富んだスタイル提案!

== MENS CLUB / IVY校キャンパス巡りより引用 ==

上記の写真からも読み取れるように、スタンダード、ユニバーサル、オーソドックス、それに無造作なのにクール!そんな感じをうけるアイビースタイルです。どれもが、自分達の手持ちにありそうですよね。少し物足りなさそうなくらいが、ちょうどいいのです。

以下、そんな気分で僕がトライしてみました。全て手持ちの普段着から組み立てしたスタイルです。

まずは、ラルフローレンが語ったように、そこらにある物を構わず適当に重ね着しよう、そこに、その人のオリジナリティが生まれるかと。

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慶伊道彦 IVY STYLE 講座 / Ralph Lauren 二度目の来日 ’78

Kay こと慶伊道彦のCoffee Break

1978 / 12 MENS CLUB トラッド・ルック特集号より〜引用編集した、ラルフ・ローレン来日インタヴュー記事

その際の発言から、70年代後半のアイビー、プレッピーの進化系を感じることができる。

**来日は二度目、前回のインタヴューから二年後ですが、ラルフローレンさん自身どういう風に変わってこられましたか。(‘78)

アイビーリーグのソフィスティケートされたスタイル自体はずっと守ってきています。ただ生活自体が変わることで、それがものの考え方や着るものにも反映されてきています。

10年程前にポロを始めた頃は、フランネルのスリーピースなど割とエレガントなものを好んできていました。その後、スポーツウェアの影響をうけて、アウトドアの要素も取り入れたスタイル、テニスやジョギングといったスポーツウェア、そしていわゆるウエスタン・クロージングの要素も取り入れてきています。

ヨーロッパが牽引していたファッションは、いまやアメリカ自身の中から、独自のスタイルが育ってきていると思うんです。私自身、ダウンベストを着たり、カウボーイハットをかぶって、自然の中で自由に生活していた時があるんですが、こういったアウトドアの生活が、人々の間でより求められてきていると思います。こういったアウトドアの生活の一番強いイメージがウエスタン調、つまりカウボーイのスタイルにあるのではないかと思います。

私自身、服そのものをデザインするのではなく、一つのコンセプトをデザインするのだと思っています。大体、服というものは好きではないし、ファッションと言われるのも嫌いなのです。自分のイメージ、物の考え方全体がスタイルとして表れるものだという風に考えます。

私自身、英国の服のもつクラシックでエレガントでリッチなイメージは大切にし尊敬というか、憧れを持っていますが、また一方で、カウボーイブーツやジーンズの良さというのもとても大切に思います。

今日のエクサイトメントはステータスシンボルにあるのではなく、ユーティリティにあるのだと思います。若い人達にとって一番必要かつエキサイティングなのは、ピックアップやハイキングブーツ、ジーンズといったものに代表されるような生活そのもののスタイルに密着したものであって、決してファッションの側から服を選ぼうという事ではないのです。

実用性、機能性が一番大切なんであって、着込むほどによくなる、といったようなものが良いわけです。

**日本の若者も、昔ながらのトラディショナルなもの、例えばチノパンやボタンダウンシャツ、それとアウトドア志向のアイテム、ハイキングブーツ、これを融合させたスタイルを街着として楽しんでますが、そういった傾向については?

ええ、正しいと思いますよ、私自身、ずっとそういう新しい組み合わせの仕方をすすめてきました。例えばツィードのジャケットにジーンズとカウボーイブーツにボタンダウンシャツにタイとか。

Ralph Lauren Homepage 引用写真

いわゆる画一化されたユニフォーム的な着方ではなく、どこか予想外の組合せ方を示してきました。エクレクティク(折衷主義的)というか、アンティークとコンテンポラリーの要素をうまく取り入れた家具のようなものです。アイビー的なものに、スニーカーをはいたり、チノをはいたり、ウエスタンブーツをはいたりといった着方をする人が増えてきていますが、それは、ウインドウの中に飾ってあるとおりに服を着るのではなく、何か自由な組み合わせをしたいという人達が増えてきているのだとおもいますよ。

アメリカン・トラディショナルというのは決して変わらず、それを好む人達は何年も同じスタイルを決して変えないと思いますね、またそれと同時にトラディショナルを逆に新しいものとして再発見するという傾向もあります。今の若い人はエクサイトメントで、より創造力に富んで、自由な組み合わせを楽しんでいるのではないでしょうか。

Cowboys & Indians より引用写真

<<< このインタヴューが行われた78年と言えば、僕が会社創業して2年目。おそらくこの前後の年に、ワシントンの FAIRFAX HOTEL のロビーで、ラルフ・ローレン氏に会っています。(ボーッと見惚れていただけですが) 社名変更を模索の中での、ワシントン訪問でしたが。 その時の服装が、まさにウエスタンを取り入れたニュー・トラディショナル・スタイルでした。ウエスタンハット、ダンガリーシャツに黒リボンタイ、コンチャベルト、ウエスタンブーツ、そしてツィードジャケット!僕にとって衝撃的な組み合わせでした。その時、ますますローレンスタイルが好きになった次第です >>>

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慶伊道彦 IVY STYLE 講座 / フットボールの歴史

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MENS CLUB アイビー特集号、第三号に掲載された ”THE PIGSKIN SPIRIT” から、フットボールの起源などの話をしていきます。

アメリカン・フットボールという言葉は、アメリカ以外の国で使用されており、アメリカでは単にフットボールと呼ばれています。アメリカのフットボールの歴史を語る時、イギリスから移民した人々のことを語らねばなりませんし、アイビー・リーグの歴史を語らねばなりません。

イギリスの移民たちがもってきたフットボールに、ボーロンという競技があります。これが、フットボールの基礎となっています。これは、サッカーのようなスポーツで、アメリカに最初に上陸したスポーツです。

1869年11月6日、ニュージャージー州のニューブランズウィックで行われた、ラトガース大学とプリンストン大学との試合が、フットボールの歴史に残る第一戦であるといわれてます。73年になると、アイビー・リーグというニックネームをつけたリーグマッチが組まれる。

エール大学の主将であったウォルター・キャンプは、1チームを11名に、フィールドを110ヤードと53.1/3ヤードに変え、現在のもっともフットボールの特徴というべきダウン(攻撃回数)の方法を考案し、現在のフットボールの基礎をつくったのです。

74年、それまでフットボールを禁止していたハーバード大は、それまで足だけでプレーしていたフットボールに、手を用いることのおもしろさを伝え、大衆の人気を集めた。

アメリカのビッグスポーツは、フットボール、野球、バスケットボールなのですが、もっともアメリカ的なことに、チーム名をニックネームで呼ぶということがあります。例えば、”ブルドッグス勝利”と書いてあれば、エール大学が勝ったという意味になるのです。

現在、最も強いカレッジ・フットボール・チームは、南カルフォルニア大学で人気がありますが、プリンストン、エール大学を中心としたアイビー・リーグも、また人気のあるリーグです。

アイビー・リーグは、今日のフットボールの基礎をつくったリーグであることと、よく学び、よく遊ぶ、アメリカン・エリート・スポーツマンの姿を求めて1試合平均6万人の観客が、週末にフットボール・スタジアムに集まるのです。

アイビー・リーグ対抗戦の一つ、ダートマス対コロンビア1973/11/10
グリーン色のダートマスが優位

全米の人気を集めるカレッジ・フットボールというと、ハーバード大とエール大の対抗試合、それとウエストポイン(陸軍士官学校)とアナポリス(海軍兵学校)の試合です。熱狂のファンでスタジアムが満員になります。

73/11/10, ダートマス大対コロンビア大

以上、74/01 MENS CLUB の取材記事から編集しました。アイビー・リーグ誕生が、後のアイビー・スタイルの基となったので、知っておきたいと考えました。

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慶伊道彦 IVY STYLE 映画 / ジャック・タチのフレンチアイビー

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Jacques Tati “僕の叔父さんの休暇” ‘53の作品

ポスターもタチらしい雰囲気が、よく表れてます。

ジャック・タチ、チャップリンに匹敵する名優兼監督かと。日本では、エノケンを彷彿する。パントマイム出身らしい独特な動き、アンチメジャーな目線、洒落た着こなし、初めて観た時から虜になりました。

フレンチアイビーの原点は、彼のスタイルかと

作品もいいんです。”僕の叔父さん” “プレイタイム” ”トラフィック” “パラード” etc.

今回は、”僕の叔父さんの休暇” を観直ししたので、その話から。

この独特のポーズ!バケットというか登山帽というか、この帽子がまずトレードマーク。恐らく当時は、山高帽が紳士の証。ですから、そこに対するギャグから選んでいるかと。

ちょっと太めなパンツをクルブシまでのショート丈で履くのが、タチのスタイル。パンツの丈だけで、もう僕はファンになりました。靴にかかる丈は、好きではないので。

ジャケットもフレンチナチュラルショルダー、リゾートスタイルを気張らずリラックスして着ているのはさすがのダンディ。

タチ・スタイルでは、ソックスの話は外せないでしょう。ホリゾンタルやアーガイル柄の楽しいソックス。英国コーギー製の味わいを感じますが、どこの製品かは知りません。

こういった一般常識に欠けるお茶目な動作も魅力的。世間的には迷惑な行為でも、なぜか憎めない程度の悪さ。ハートの優しさから出るので、いいのでしょうね。

このように、室内着を着ても様になる!

バカンスの映画なので、出演者もめかし込んでます。パナマハット、タイドアップ、シルクスカーフ、エスパドリーユシューズ、バスクシャツ、

ヨーロッパのリゾートスタイル (一般庶民階級程度の) が、あまりにも素敵なので驚き!戦後日本との差はとんでもない差でした。

“プレイタイム” などでは、チロリアンハットにゆったりバルカラーコート、手にはステッキ、スエードのチャッカーブーツに短いパンツ、バランスが実にいいですね。勉強になります。

チャップリン、エノケン、キートン、そしてタチ、50~60年代には、パントマイムから出てきたような軽やかでアートを感じる役者が多くいました。脇役でも、その役者を観たくてって事も多かったです。映画にとってはいい時代でした。まだ観てない方は、是非!

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