慶伊道彦 IVY STYLE 講義 / ニッポン・アイビーとPOLO #4(80~90)

Kay IVY Break

ロングアイランドからニューヨークへ、そしてL.A.や東京ストリートへと、ライフスタイルの変化をアイビー・スタイルに取り込んでいくPOLOは、強い味方をつけた。BLACK IVYとしてその後、拡大していく黒人の若者たちであった。80年当初は黒人の富裕層やその大学生が中心だったが、83年あたりからブルックリンの黒人やラテン系の若者たちでブレーク、新しい顧客層となった。

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“アメリカン・ドリームを服として着る事” 映画 “ギャッビー” は、上流階級に憧れ、その世界を手に入れようとした男の物語だが、そのイメージを黒人若者たちも模索する。ブルックリンでLo Downと言われるPOLOブランドで身を固めた黒人やラテン系の若者たちが出現しだす。88年には、全身ラルフローレンのLo-Lifes なる集団も誕生し爆発的な人気となった。WASPスタイルを志向するPOLOに対して、遠い世界アメリカン・ドリームの象徴を感じ取り、自分たちを被せた。

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そして、1986年、N.Y.マジソン・アベニュー72丁目角にフラッグシップ867Madisonがオープン。勿論、本来の顧客層である成功したアメリカ人客で賑わうのだが、もう一つの現象も現れた。それがファッショナブルなブラック・ヤング達であった。フラッグシップ店は、一つの館であるせいか、より”上流階級のアメリカ”というイメージを増幅し憧れな世界となったのだ。

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70年代後半と80年代後半では、POLOのイメージだけでなく見せ方も変わってくる。ストリート・スタイルという若者の持つ強い力が台頭した。

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日本のアイビーとBLACK IVYの比較をしてみると、かたや60年代に入って生まれた日本のアイビーは、ひたすら憧れ!だった。ハーバード大、イエール大、などの名門大学、WASP的なアメリカ上流階級、これらを行ったこともないのに映画や雑誌で知る事で学ぶ。そして70年代に入り、映画 ”ギャッビー” で、ニュートラッドの世界に入る。かたやBLACK・IVYは、80年代に入りラルフローレンの広告で見るコネチカットの大邸宅、カントリークラブ、セーリングや乗馬、ブルックリンから遠い世界にあるアメリカン・ドリームと自分たちを重ね合わした。

ニッポン・アイビーとBLACK IVYは掴んだ手法こそ違えるが、ラルフローレンが考えていたターゲットではなかったにもかかわらず、強い影響をブランドに与えていったのだった。それがさらに強く出るのが、90年代である。

とはいえ、TAKE IVYやPreppy Official Hand Book で学んだアイビー派は、必ずしもこの動きを指示した訳ではない。Black Labelと Purple Label , POLO COUNTRYはオッケーだが、POLO SPORTとなるとロゴが大き過ぎと感じた。当時の流行りのスタイルであるシティボーイ・スタイルとは路線が違い過ぎたのだ。BIGIなどDCブランドが打ち出すコンチネンタルな魅力にも影響を受け、ルーズフィットなアイビーを好む、それはその後のフレンチ・アイビーの流行に繋がった。

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