Kay Coffee Break
日本におけるアイビー黎明期は諸説あるが、60年代前半と考えてよいだろう。63年12月にアイビー・スタイル雑誌”MENS CLUB”が創刊、翌年64年春に男性エンタメ雑誌”平凡パンチ”が創刊、さらに10月には東京オリンピックが開催、その間にはあの”みゆき族”騒動もあった。そのあたりがアイビールック・ブームと言っていいだろう。
この時代、アイビールックは不良スタイルと言われた。(いつの時代にも始まりをやる人は異端者扱いで悪く言われるが) 理由の一つにアイビールックをする若者の社会でのポジションがある。当時、社会的には異端なデザイン学校生や美大生、ジャズ好きな若者、大学生とはいえ学校に行かず趣味三昧の若者などなど。大人の常識には嵌まらない輩であったから、当時の世相としてはバツだったが、感覚というかセンスは抜群で一歩抜け出ていた。
初期のアイビールックのスタイルは、今から見ると極めてオーソドックスなスタイルであった。しかしそんなアイビールックからは、研ぎ澄まされたセンスが滲み出ていた。タイトでナチュラルな肩幅のスーツ、パイプステムと言われるストレートなパンツはクルブシでカットされ、足元はオカメと言われるウィングチップ・シューズ。はたまたスィングトップやニット・カーディガンにストレート・シルエットのコットンパンツ、これもクルブシを見せた。
美術学校セツ・モードセミナーは、その後ファッション界をリードしていく若者たちに人気があったのだが、(アイビー・スタイル・イラストの穂積和夫氏も在籍) 創設者長沢節氏のイラスト、細身のパンツにクルブシ出しのパンツ丈、HIP!これが日本のアイビー・ルックに多大な影響を与えたと言われている。
74年から78年頃にかけてセツや文化服装などの美術学校生やデザイン学校生、多摩美などの美大生、ジャズプレーヤーとそのマニアなど、彼らは実にアイビーをヒップに着こなした。その後、彼らの多くがモード寄りのコンチに鞍替えする事で、アイビーはようやく本来のWASP的なアイビー・スタイルへと収まるのだ。74年から始まったわずかな間だが、彼らのアイビーは社会に強烈なイメージを残した。アートな彼らとアイビーとの出会いが、その後の日本のアイビーがヒップ!であり続けられる一因となったと考えられる。
よく比較されるBLACK IVYとの違いだが、かたやWASPに対して、かたや大人文化に対して、どちらも憧れと反発を服装で表したものだが、60年代日本のアイビーは、そのままのオーセンティックなスタイルとディテールから入ったのに対して、ブラックアイビーは、一捻りしたスタイルでジャズジィーアイビーが流行した。(ジャズジィーは、今の日本のストリートなアイビースタイルと気分が被るところがある) オーセンティックスタイルでHIPな気分を表現した日本の若者のセンスだからこそ、国や人種に関わらずインターナショナルに指示されたのだと思えるし、それが、後の ”TAKE IVY” が世界的にベストセラーになる事で証明された。
“アイビーはモードだった”時代



60年代初頭ヌーヴェルヴァーク運動でフレンチ・カルチャーがモードの世界を席巻する。ゴダール映画”勝手にしやがれ”などのスタイルから、フレンチ・コンチネンタル・スタイルが人気に。63年頃からJUNやEDWARDS等はコンチルックを打ち出し、アート系の若者が徐々にアイビーからコンチへと変わり始めた。67年頃には、若者のファッションはアイビー派とコンチ派に別れる。コンチとは、フレンチ風ヨーロピアン・スタイルで、スポーティなアイビーとは逆でエレガントな雰囲気が特徴。それにアート系の若者も飛びついたのだった。

68年頃からは、アイビー対コンチの図式でファッションが盛り上がっていくのである。(続く)
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